<22>







気がつくと、キッチンの窓からは朝の光が降り注いでいた。
いつの間にか眠っていたらしい。
泣き疲れたせいか目頭がとても重く感じた。
アメリカに居た頃までは、自分の感情に必死に蓋をして生きてきた。
それが日本に戻ってきてからは一気に解放されたのかもしれない。
浩樹と共に過ごす毎日が素直に嬉しいし、自分に正直になることの自由さを知った。
だからいまここに浩樹がいないことが酷く不安で、自然と涙が出てきたのだ。
涙を流すことしかできなくて、でも取り戻しに行くことなんてもっとできなくてただただ涙を流した。
それで、泣きつかれて眠ってしまったんだ。




泣いて水分を放出したせいか、無性に喉が渇いた。
口の中が妙な渇きに満たされ、喉が痛む。
水を飲もうと立ち上がろうとしたが急な眩暈に襲われてシンクのふちに手をかけた。
目を閉じて一呼吸する。


・・・・・・・。


目の前が一瞬暗くなったがやっと落ち着いてコップに手を伸ばすことができた。
蛇口をひねって水を注ぐと、一気に飲み干した。
乾いていた体が一瞬にして蘇る。
こめかみにズキズキとした痛みを感じてはいたが、それ以外異常はない。
昨夜はあんなに取り乱していたのに、今はきちんと呼吸することができた。
冷静になってみるとこれからのことが余計不安に思える。
浩樹は僕と生きると言ってくれた。
しかし僕らのことは知れるところになっている。
浩樹には家族があり、そして現に昨夜帰ってこなかった。

もしかしたらこれが浩樹の出した答えなのかもしれない。
常識的に考えれば家族を捨てるなんてそう簡単にできるはずがない。
あの時は弱った僕を見てただ感情的に口走ってしまっただけ。
そう思ったらなんだか自分が可笑しくてたまらなかった。

僕が思い描いた未来はこんなものだったのか。
自分の気持ちに正直に生きると決めた。
だったら、このまま黙って一人で生きていく訳にはいかない。
世間から見たら僕はとんでもない人間かもしれない。
妻子ある実の弟を思い続けるなど、いけないことだときちんと分かっている。
それでも僕は・・・。

僕には浩樹が必要なんだ。







久しぶりに家を出た。
陽の光を直接浴びるのが久しぶりになっていたからその眩しさに目がくらんだ。
それでも不思議と足が進む。
僕が向かった先はかつて自らが住んでいた街だ。
電車に乗り、その駅に降り立つと一瞬足がすくんだ。
時間はちょうど通勤の時間で多くの人が忙しそうに構内を歩いている。
この中に知ってる顔があるかもしれないと思うと胸が騒いで吐き気がしてきた。
しかしそれすらどうでもいいと思うくらい今の自分は浩樹を求めるパワーにみなぎっている。
これはもはや狂っているのかもしれないと思った。
いや、それを言えば浩樹を愛した最初の瞬間から、僕は狂っていたんだ。


浩樹の家は僕の実家にほど近いマンション。
住所は聞いていたし、生まれ育った街なので迷うことなくその前にたどり着くことができた。
郵便受けの表札を見てそこが彼の家だという確信を得る。
しかしここまできてどうすればいいのか迷ってしまった。
まさか怒鳴り込んでいくわけにはいかない。
子供もいるだろうし、僕が望むのは修羅場じゃないのだ。
ただ、浩樹に会いたい。
戻ってきてほしいと正直な気持ちを告げたいだけなのだ。
僕はマンションの前の街路樹に背中をもたれ、浩樹がでてくるのを待った。

20分ほど待った時、見知ったスーツ姿の浩樹が出てきた。
一晩会っていなかっただけなのに、ものすごく遠く感じて胸がドキドキする。
胸に手を押さえ、冷静になろうと一呼吸おく。
そして浩樹に声をかけようとしたその時

頭上3階の部屋の窓が開き、ベランダにパジャマ姿の子供が出てきた。
血が、波うつのを感じた。

浩樹の子だ。

確かめなくとも分かった。
面影があまりにもありすぎたから。

「ぱぱーーーっ。きょうも帰ってきてね。待ってるから。」

子供の無垢な声が聞こえる。
浩樹はその声に反応し、自分の部屋を振り返った。

「わかったから、ちゃんといい子にして寝てないと、またお熱あがっちゃうから。」

そう言う、浩樹の横顔が見えた。

なんてことだろう。
あの優しさに満ちた瞳は。
僕は知ってる。
自惚れなんかじゃないけれど、それは僕にも向けられていたものだったから。

浩樹は、あの子を、愛している。

その現実を目の当たりにして僕は浩樹に声をかけることができなかった。
子供は浩樹の言いつけに従って部屋の中に姿を消し、浩樹も駅への道へと歩き始めた。
数十秒後、僕の胸ポケットに入っていた携帯電話が振動を伝えた。
見るまでもない。
今後姿が見えている浩樹が、誰かに向かって電話をかけている様子が見えるから。
きっと、家族の目を離れて僕に連絡を取ろうと試みているに違いない。
しかし僕は出ることができなかった。
あんな光景を見て、はっきりと動揺しているのを感じていた。

僕は、浩樹の愛するものを奪う存在になってしまうのか。
あの子供から父親を奪ってしまうのか。

今までアパートに引きこもって感じようとしなかった現実が、こうして目の前につきつけられた気がした。





携帯は何度も着信を告げていたけれど、僕は最後まで出ることができず
その電源を落とした。

         







2008/6/17












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