20.波に想う

久しぶりに帰る自分の家。
扉の前に立って、自分の家だって云うのにえらく緊張した。
ドアノブに手をかけようとして一呼吸置く。
姉さんと隆平さんに会ったらどういう顔をしよう。
いろんな気まずさがあいまって、家へ入る決心が鈍りそうだった。

「淳?」

そんな僕を背後から呼ぶ声がした。
久しぶりに聞く声。あの時の電話以来の声だった。

「姉さん・・・」

振り向くと自分の姉の姿があった。姉さんはひどく驚いた様子で、僕に声をかけてからしばらくは何も言えないみたいだった。

「ただいま。」

僕はとっさに普通に声をかけた。緊張で少し声がかすれる。
突然家出したりして、姉さんには随分迷惑をかけたと思う。
やはり僕にとって幼い頃からずっと一緒にいた姉という存在は大きいのだ。
今は隆平さんの妻として、僕が向ける嫉妬の感情はひとかけらも生まれてこなかった。
ただただ胸が痛んだ。

「バカ。何が『ただいま』よ。」

そう言って姉さんは僕を思いっきり抱きしめた。

いつか姉さんが僕に言ってくれた言葉。

『私のたった一人の大切な弟だってこと、忘れないで』

あの時は恥ずかしくて適当にごまかしてしまったけれど、ふいにそのセリフが頭に浮かんだ。
うぬぼれかもしれないけど、僕は姉さんにとって大切な存在だってことが伝わってきた。

「ごめん。心配かけて。」

(やっぱり僕にとって姉さんはたった一人の大切な姉なんだよ。)

口に出すのが恥ずかしくて、そう思いながらきつく肩を抱き返した。

「隆平、今日休みで家にいるから。入ったら真っ先に謝りなさい。随分心配してたんだから。」

「うん。わかったよ」

ふいに隆平さんの名前を出されてドギマギしながら、僕は久しぶりに我が家へと足を踏み入れた。
家にはそれぞれ独特のにおいがあるけれど、やっぱり自分の家のにおいはなつかしい。
そう思いながら隆平さんのいるリビングへと入った。
ソファに座った隆平さんは僕の姿を目で捕らえると、すぐに近寄ってきた。

「ただいま。ごめなさい。迷惑かけました。」

「良かった・・・・。」

心の底から安心したというような声で隆平さんは僕の肩に手をかけた。
久しぶりに見る隆平さんは少し疲れているみたいだったけど、やっぱり男らしさは変わっていなくて。
手をかけられた肩が熱くなるのがわかった。
近くに隆平さんがいる。この事実が僕の胸を熱く高鳴らせていた。

それから久しぶりに3人で夕食を食べた。
隆平さんの作った手料理を久しぶりに食べた。僕の好きな味。
さっき濠さんの所でも食事をごちそうになったけれど、やっぱり僕の味覚は隆平さんのものに反応する。
いつか隆平さんは濠さんの料理は魔法だって言ってた。
たしかに本当に魔法みたいに元気が出る料理だった。それにすごくおいしい。
けれど好きな人が作った料理はやはりカクベツな感じがした。
もし隆平さんが作った料理がすごくマズくてもおいしく感じてしまうんじゃないかと思って少し笑えた。
久しぶりのあったかい食卓は、安堵の色に包まれていた。

姉さんは僕が出て行った理由を深く問い詰めなかった。
気になっているかもしれないけれど、僕が戻ってきたという事実だけに満足しているのかもしれない。
僕のことには深く干渉しないのは昔からのことだ。姉さんらしいと思った。
僕のほうも姉さんに事実を話すつもりはなかった。
これは全て僕の心の中の話だ。
隆平さんも姉さんに話していないということは、僕も語るべきではないんだろう。


その日の夜、風呂上りでリビングにいた僕に隆平さんが声をかけた。

「淳君、ちょっとドライブしない?」

僕にとってそれはとても魅力的な誘いだ。けれど二人でこれからきちんと話をしようとして隆平さんが誘ってくれているんだと思った。
僕は、自分の気持ちに、そして隆平さんにきちんと向き会わなくてはいけない。
ナオキさんの家を出るときに決心したことだ。

「うん。行こう。」


思えば隆平さんの車の助手席に乗るのは初めてかもしれない。
たいがい車で出かけるときは姉さんもいたから僕は後部座席に乗っていた。
助手席に座ってシートベルトをするとなんだか緊張した。

「どこまで走らせようか?」

「どこでもいいよ。」

「どこでもいいじゃ困る。どこかリクエストはない?」

「じゃあ、海行きたい。」

「了解。」

そう言って隆平さんは車を走らせた。
たわいもない世間話をしながら、けれど僕の心の中は複雑な気持ちでいっぱいだった。
隣の席にいる隆平さんを覗き込むとりりしい横顔が街のネオンに照らされていた。
筋の通った鼻のライン、主張するような唇。そしてハンドルを握る腕はやはりたくましかった。
時間的に道がすいていたせいか、意外と早く目的地についた。
車を出ると潮風が体にまとわりついた。
どこか肌がべとべととする。海の匂いがした。
波打ち際までいくとかなり波が穏やかということがわかった。
海は漆黒の中に何も写さない。

「正直さ。」

隆平さんが突然話を切り出した。

「淳君に告白された時はビックリしたよ。だからあせってしまって、どうしようどうしようって思ってた。」

「ごめんね。変なこと言って。」

「ううん。あれが正直な気持ちなら謝ることはないよ。想いを人に伝えるってことは、大切なことだ。」

「そうかな。僕は少しだけ言ったことを後悔しているよ。」

「俺もさ、いろいろ恋愛をしてきたけど、うまくいくかいかないは別として、気持ちを相手に言葉で伝えることは大切だとおもうから。結果は何であれ、その時はつらくて絶望しても、後悔はしない。コレは俺の持論だけどさ。」

「隆平さんの答えは今でも変わらないんですよね。」

僕らのあいだにしばし沈黙が流れた。

「・・・ごめん。俺はやっぱり芽衣のことを愛してるから。ただ、淳君のことは弟だから大切なんじゃない。恋愛感情はもてなくても淳が大切だと思う気持ちを信じて欲しい。正直言えばさ、初めて淳君に会った時、なんてキレイな男の子なんだろうと思ったよ。もし芽衣よりも先に出会っていたらわからないほどにね。」

「僕、オトコノコだよ。」

「知ってる。それに俺だってオトコだ。」

「性別は僕にとって関係ない。僕は本当に隆平さんが好きなんだ。」

そう言いだして、僕の目からは涙があふれてきていた。

「ありがとう。俺はさ、淳君のそういう素直に気持ちを言えるところ、好きだよ。気持ちには応えてやれないけど。・・・ごめんな。」

僕は首を何回も横に振った。

「ううん。僕は隆平さんを好きになったこと絶対後悔しないよ。だから、謝らないで。」

「俺も今までいろいろ経験してきたけどさ、どうして人の想いは叶わないんだろうな。愛する人は一人だけ、とか言うじゃない?よく。けどさ、その時はそう思うけど、時がたてばちゃんと他の人間を愛せたりするんだよ、人間は。俺も昔は本気で好きだった人はいるよ。いろいろあって別れたりもした。けど今は芽衣に出会ってちゃんと愛することができる。俺は、自分勝手かもしれないけど淳君にそういう相手が現れて欲しいと思ってる。」

「うん。」



隆平さんに言われた言葉がいつまでも心の中に残っていた。
頭では理解できる。僕にもいつかほかに好きになれる人が現れるはずだ。
けれど、隆平さんを好きな気持ちはまだ僕の体に残っていて。
もう少しだけ想いを抱くことを、許して欲しいと思った。
初めての恋はつらいことばかりだったけど、なんだか温かい気持ちが胸に残った。
ナオキさんは自分の心にどんな決着を付けたんだろう。
今度会うことがあったら、少し話してみたいと思った。



「そろそろ帰ろうか。」

「そだね。姉さんが遅いって怒るね。」

波の音はしばらく僕の耳の中に残っていた。



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