一ヶ月:Epilogue


最後に、衝動的にしてしまったキスの感触が残っていた。
人前だとか、恥ずかしいとか。そういう邪魔な感情をどっかにしまいこんで。
昨日の夜、欲しくてたまらなかった浩樹を手に入れてから、もっと欲張りになったのかもしれない。
もう僕が求めていいものなんて何もないのに。

キスをした時の 呆気にとられたような浩樹の顔が印象的だった。
どうしようもない気持ちになって、無意識に唇を奪った。
その唇は今まで通りやわらかくて、心地良い体温で包まれていて。
ほんの数秒の触れた後顔を離すと してやられた、というような間の抜けた顔が見えた。
浩樹のちょっと口の開いたアホ面を思い出して、不思議と笑みがこぼれる。

なのに、涙が出て来た。

飛行機が離陸して1時間ほどが経っていた。
隣の席のビジネスマンはもうすでに寝入ってしまっていて僕の涙には気付かない。
幸い窓際の席だった僕は、窓に顔を摺り寄せるようにして顔を隠した。
雲一つない空を見ながら
声を押し殺して、泣いた。

まるで実感がない。

ついさっきまで触れていたのに、もう、あの唇にキスすることはない。

僕が今回の夏休みに帰国を決めたきっかけは、再三のにわたる両親からの説得だった。
アメリカに行ってから1年。僕は日本へ一度も帰ってはいなかった。
クリスマスも、お正月も。
そんな僕に両親は手紙や電話で帰ってくるように促した。
始めはうまくかわしていたものの、だんだんとごまかしきれなくなり、今回の帰国を決めた。

日本に帰る前から、僕にはわかっていた。
自分は、まだ浩樹のことを忘れてなんかいない。
離れている時間が長くなるほど、恋焦がれる気持ちは募っているのだ。
だからすごく会いたい反面、会ってしまうのが怖かった。

日本に帰ってきてから、もっと怖いことがあると知った。
それは僕の独り善がりではなく、浩樹もまだ好きでいてくれてるということ。

僕が一人で勝手に浩樹を愛して、勝手に苦しむならまだいい。
でも、それに浩樹を巻き込んじゃダメだ。
浩樹に後ろめたい思いなどさせたくなかった。

そして、僕はある決意を胸に日本を後にした。

今後一切、浩樹とは接触を持たないと。






一言で言うと
彼の前から姿を消してしまおうと思った。


そのために僕は芳美さんに援助を求めた。
始めはそんな無茶な話聞いてくれなかったが、僕の必死の懇願によってしぶしぶ受け入れてくれた。
とは言っても全面的にバックアップしてくれたわけではないけれど。
芳美さんは輸入家具の仕事をしているだけあって海外には様々なつながりがある。
そのつてを使って、僕は今いるシアトルの大学を辞め、ボストンのカレッジに入学することが決まっていた。
それと、働きながら学校に行かなければならないので、割のいいアルバイトを紹介してもらった。
当面の費用も借りた。
僕は必死に働きながら、芳美さんに借りたお金を返し、ゆくゆくは今までの大学の費用を両親に返すつもりだ。

正直言って怖い。
家族とは一切の連絡を絶つなんて、どういうことなのか想像もできないから。

これは逃げかもしれない。

でも、僕の存在が浩樹を闇に引きずり込むなら。

存在を消してしまうしかない。

最後に浩樹を求めたことは、ちょっぴり後悔している。
身体を繋げたら、尚更わすれられないじゃないか。
それに、最後まで、僕は弱いと思った。
あのままずっとシーツにくるまって、浩樹と肌を重ね合わせていたかった。

溢れる涙を隠そうと、両手で顔を覆う。
腕に、光るものがあった。

(優樹が、この世に生まれてきてくれたことの感謝の気持ち。それだけだ。)

今まで何度も命を棄ててしまおうと思ったか。
だけど。
この時ばかりは生まれてきて良かったと思った。

母さんにしては複雑かもしれないけど、僕は浩樹にこう言ってもらえたことで。
本当に生んでくれて良かったと、感謝することができたのかもしれない。

僕は浩樹の傍で笑っていることを放棄したけれども。
かわりに。
ずっと浩樹を想っていられる。

きっと。


いつまでも。


「さよなら・・・。」

僕がこぼした独り言は、大空の中に溶けて消えた。




‖ 一ヶ月 * Fin. ‖

あとがき




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