いつの間にか外の雨音がしなくなっていた。
目を覚ますと、光が差し込む。
朝になっていることを知った。
それと同時に、今の状況が信じられなかった。
俺の隣にはまだすやすやと寝息を立てて優樹が眠っている。
まるで胎児のように身を小さく丸めて、俺の胸の中にうずまっていた。
優樹を・・・抱いたんだなぁ。
ぼんやりとそんなことを思った。下半身が身に覚えのあるダルさを呈している。
久しぶりの優樹の身体は、実に良かった。
いや。
良かったという簡単な言葉では済まされないくらいに素晴らしかったとでも言うべきか。
気持ちよさそうに眠っている優樹を見ながら、俺はあることを思い出した。
ベッドサイドに置いた鞄をたぐり寄せ、ポケットの中から小さな袋を取り出す。
その袋には日本でも有名なジュエリーデザイナーのブランドロゴが記されていた。
丁重に施されたリボンを外し、小さな箱を開く。
そこにはシンプルなデザインのブレスが入っていた。
高校生の分際なのでシルバーのものだが、シンプルな中に光る洗練されたデザインが気に入っていた。
ショーケースの中で、光るそれを見た瞬間買おうと決めた。
優樹の誕生日である9月9日に宅急便で送ることも考えたが、フライングでも直接渡したかった。
きっと、喜ぶ顔が見たかったんだ。
最も俺からのプレゼントなんて優樹はウザいだけかもしれないけど。
普通に考えて弟が誕生日プレゼントあげたっておかしくない。
優樹は本当に俺のことを疎ましく思っているのだろうか?
ふとそんな疑問が俺の頭をもたげた。
昨夜、ベッドの中で乱れていた優樹は俺のことをすごく愛しそうな目で見ていなかっただろうか?
そして。
頭の中に残像のようにして残る言葉。
(ぼく・・・も!)
果てる瞬間、そんなセリフが聞こえたのは幻聴だろうか?
俺が、優樹を好きだと言ったその言葉に対する言葉。
あの状況だったら、俺がイキそうだと言ったことに対しての言葉なのかもしれないけど。
結局優樹の気持ちはわからないままだ。というか、俺が事実を受け入れられないだけか。
俺は眠っている優樹の細い腕を取ると、鎖状になっているそのブレスをはめた。
もう二度と、優樹がこの腕を傷つけることのないように。
そんな風に願いを込めて。
ブレスをつけると、気配に気付いたのか優樹が目を覚ました。
手首の辺りで目を擦ろうとして、じゃらじゃらとした違和感に気付く。
「コレ・・・?」
「おはよ。」
「何?」
「一足早いけど、誕生日プレゼント。」
「そんなの・・・!困る。」
優樹が困惑したような表情を浮かべた。
「困る必要ない。弟が兄貴にプレゼントあげてもおかしくないだろ?
もらってくれよ。別にしてくれなくてもいいから。これは俺の自己満足なんだ。
優樹が、この世に生まれてきてくれたことの感謝の気持ち。それだけだ。」
困ったような顔をしながら、ブレスを見つめる。
「優樹を縛るつもりはない。お前がそうしろっていうならただの弟に戻る努力はする。
結局・・・優樹がこうして生きていてくれるだけで、俺は幸せだから。
今はまだ無理でも・・・これからどんな可能性があるかわからないし。」
「僕は浩樹にそんな風に想ってもらえる人間じゃないよ。」
「そうかもな。一人で何でも背負い込むし、すぐにネガティブになるし、えっちな体してるし。」
「一言余計だよ。」
「それでも、理由なんかなくても優樹への気持ちは俺の中では一番純粋なものなんだ。
うまくいえないけど。本能的に一つになりたいと思う人間を、優樹以外に知らない。
もちろんいやらしい意味じゃなくて。・・・いやらしい意味も込めて。だけどね。」
俺って、ボキャブラリーのない人間だと思う。
こんなにも優樹のことが好きなのに、うまく伝えることができない。
もどかしい・・・。
「これ・・・。有難う。もらっとくよ。」
「ほんとに?よかった・・・。」
正直、こんなもんいらないって投げ返されることも予想してた。
だから純粋にうれしかった。
「優樹は俺のこと・・・やっぱり受け入れられない?」
舞い上がった気分のまま、ダメもとで聞いた。
「僕は・・・。」
優樹の目が戸惑いがちにうつろう。
こうして身体を繋げて、優樹の心が少しでも動いたのを期待した。
「浩樹のこと・・・・嫌いじゃないよ。」
「それってどういう・・?」
「ゴメン。それ以上は聞かないで!」
優樹は、俺との間に防御線を張った。
決して踏み越えることを許さないライン。
これが、今の俺たちのギリギリの境界なのだと思った。
自分達の関係を認めることのできない優樹の、最後の砦。
それは自分の気持ちなのだろう。
好きだと認めてしまったら、また苦しむことになる。
優樹が俺が好きだということを、否定はしなかった。もちろん肯定もだけど。
それだけで十分なのかもしれない。
「それじゃあ、行って来る。」
いよいよアメリカへ発つときが来た。
台風一過の晴天で、通常通りのフライトが戻ってきているようだった。
「優樹、元気で。」
「ああ。」
「体、大事にするんだぞ。」
「わかってる。それより、母さんのこと、頼む。」
「まかしとけ。」
そろそろ行かなければならない時間らしかった。
アナウンスがそれを告げる。
優樹の腕には、あのブレスが光っていた。
それが自分の分身であるように、優樹を守って欲しい。
そう思った。
「・・・行くよ。」
離れがたい俺の気持ちはお構いなしに、優樹が別れを告げた。
次の瞬間、唇に何かが触れた。
「じゃあな。」
マジかよ・・・。
そんな不意打ちってない。
突如奪われた唇に、手を当てた。
優樹はもうゲートに入っていき、後姿だけが見えた。
どうして優樹はキスなんかしたんだろう?
俺は、期待してしまうだろう。
やっぱりまだ俺たちの心は離れてしまったわけではないと。
こんな淡い気持ちを残されたら、切なくなるだけだ。
こんなキスを平気で残していけるくらい、優樹が残酷なのだと知った。
しかし、それ以上に優樹がほの暗い意志を抱いて俺の前を去ったということを、この時の俺はまだ知らなかった。
あれから何年たっただろう?
俺は、今でも忘れられない。
最後に優樹がくれた、たった一秒のキスの味を。
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