理性と欲望の狭間とは、こういうことを言うのだろうか?
優樹を手に入れたい。
だけどそれは決してできない事だとわかってた。
この腕の中の温かい存在は、これ以上求めたら壊れてしまうから。
俺は自分を抑えようとすることで精一杯だった。
きっと、あまりにも必死すぎたから。
優樹が考えていることなんて理解しようともしなかったのかもしれないね。
もう、今となってはどうしようもない話だけれど。
本当は、優樹が布団から出る前から目は覚めていた。
いつも目が覚めたら優樹はいなくなってしまうような気がして早く目が覚めてしまう。
今日も優樹がぐっすり眠っているのを、随分早くから眺めていた。
いよいよ今日は母親が退院して帰ってくる。
兄弟が久しぶりに帰ってきたのだからたまには一緒の部屋で寝ると父親には告げて、ここのところ僕らは一緒に寝ていた。
しかし母親が帰ってきたらそうはしていられないだろう。
また監視されるだろうし、優樹も過敏に俺と距離を置くに違いなかった。
優樹が起きて洗面所に向かった後、俺はいまだ布団に残る優樹の温もりを確かめた。
いい匂いが残るシーツに顔をうずめるとえらく幸せな気分になる。
しかしそれと同時にその何倍ものやるせない気持ちに押しつぶされた。
温もりを、感じることしかできない。
果てしないもどかしさ。
俺はしばし暗い気持ちになっていたが、そんな想いを追いやるようにして布団から這い出た。
洗面所に入ると、中にいた優樹と目が合う。
寝ぼけ眼で視線はかち合ったものの、あまりのきれいさにハッとする。
俺は衝動を抑えきれずに後ろから優樹を抱きしめた。
こうして抱きしめることしかできなくても、それは今の俺にとっては一番大切な時間。
「親父もうすぐ起きてくるよ。」
「大丈夫。昨日遅くまで起きてたみたいだから、きっともう少し寝てるよ。」
「そっか。」
俺は優樹の首筋に顔をうずめて目を閉じた。
こうしていると、このままこの白いうなじにキスしてしまいたくなる。
いつだって、俺が一方的に優樹を触ったり、抱きしめたりしてしているけれど。
俺と同じくらい優樹がドキドキしているような気がするのは気のせいだろうか?
「今日、お袋帰ってくるな。」
優樹が諌めるようにそれを告げた。
それは、もうこんな風に簡単に抱き合えなくなることを意味している。
いや、ニュアンス的にはもうこんな風にするなという戒めの部分が大きいのかもしれない。
十分承知だ。そんなこと。
「分かってるよ。ちゃんとやるから。」
「分かってるならいいけど。あと一週間で帰るんだ。今更いざこざ起こしたくない。」
一週間。
もうすぐ優樹はアメリカに帰ってしまう。
それはこの微妙な関係の解約の時期でもある。
この一週間を思う存分味わったら、俺は優樹をあきらめなくちゃいけない。
まぁ、忘れられるはずがないのだから意味のない約束だけど。
それでもこの一週間は重要な意味を持つ。
これからは、優樹が好きだと泣いて叫ぶこともできない。
タイムリミットは近いのだ。
急に、寂しさが襲った。
「なぁ優樹。」
「ん?」
「行くなよ。」
「どこに?」
「アメリカ。」
思わず弱々しい声で聞いてしまった。
寂しさが、声に伝播して優樹の鼓膜を震わす。
「せめて、こうして近くに居たい。」
「ダメだよ。僕は大学行ってるんだよ?あっちで勉強したいことが山ほどある。」
俺は、優樹ががんばってることに関しては何の口も挟めない。
いろんな意味で不幸にしてしまったのは俺だから、これ以上大切なものを奪う事なんかできない。
きっと、優樹は俺が本気でそんなこと言ってるなんて思ってはいないだろう。
けれど実際は心の奥底で優樹を手放さないためにはどうしたらいいかなんてことばかり考えている。
「俺もついていっちゃおうかなー。」
「何言ってんだ!ダメに決まってんだろ。」
「わかってるよ・・・。」
あたり前の返答が帰ってきてもなお、俺の機嫌はちょっと悪かった。
そんな意思表示をするかのように、さらに腕の力を強める。
俺は、優樹と離れたくないだけなんだよ。
そう思って自分はひどくわがままな存在だと思った。
好きで好きで止まらない。
今すぐにでももっともっと優樹を感じたい。
想いが高まるのと比例して、俺の中にも生理的な変化が現れた。
優樹を抱きしめているだけなのに、下半身が熱くなる。
そこの部分が窮屈そうにしているのがわかった。
やばい。これは絶対に優樹に気付かれてる。
暴走してしまった自分の性を嘆かわしく思う。
「ごめん。」
俺は優樹から身体を離して謝った。
これは契約違反。
俺は優樹を欲してはいけない。
「朝メシ作んなきゃ。」
そう言って洗面所を出た。
静まれ、自分。
洗面所にたどり着くと、シンクの縁を渾身の力で掴んだ。
静まれ・・・!
俺は、自分の体に必死で命令しながら目を閉じた。
母親が退院してから初めての夕食を囲んでいた。
今日はまだあまり母親が本調子ではないから優樹がご飯を作った。
「優樹こんなに料理うまくなったのねぇ。感心するわ。」
「まぁね。毎日やってればね。」
「あっちでも味噌汁とか作ったりするの?」
「ごくたまにね。材料とかも大きなスーパーとか行けば売ってるし。僕の友達でドイツから来たやつがいるんだけどさぁ、そいつなんか味噌汁にハマっちゃってすっかりファンだよ。」
「あら、そうなの。ヨーロッパの人の口にあうなんてこともあるのね。」
「そうだな。俺も昔出張でヨーロッパに行った時パリにおいしい寿司屋あったしな。最近日本食も流行ってるらしいぞ。」
「じゃあ食事のことで困ったりすることはないのね。よかったわ。」
「もう1年もあっちで暮らしてるんだから。今更だよ。それより母さんの方こそ体調気をつけろよ。」
「ん。もう大丈夫よ。大したことないし。」
「それならいけどさ。僕がいなくなったら父さんも浩樹もちゃんと気をつけてやってよ。」
和やかな団欒の中、優樹の一つ一つの行動に見とれていた俺は、急に自分に話をふられてドキっとした。
「わかってるよ。な、親父。」
「ああ。そうだよな。」
こうして家族は暖かく和んでる。
でも今この瞬間も俺は優樹のことが気になって仕方がなかった。
恐る恐る、隣に座る優樹の太股に指を触れてみる。
始めはちょん、と確かめるように。
しかしそれはやがてだんだんと明確な意思を持つ指になる。
優樹も、気付いているはずだ。
でもまるで何事もないかのように話す優樹がもどかしくて、俺はさらに撫でまわした。
一瞬、優樹が俺を睨む視線を感じた。
優樹はすかさず足を違う向きに向けて俺から遠ざかった。
それがなんだか悔しくて、もう一度手を伸ばした。
まるでピアノでメロディを奏でるようなタッチで太股に触れた。
「・・・はぁ・・・。」
性的な意図をもって触り始めた訳ではなかった。
しかし意外と敏感な腿への接触は次第に快感を生む。
必死でこらえようとする優樹のため息を聞いただけでブッ飛びそうだ。
俺は調子に乗った。
一瞬ツラそうな顔をして優樹が目を閉じた。
でも、テーブルの下でこんなことが行われているなんて誰も気付かない。
ここは、いわば俺たちだけの世界だった。
指先から、優樹を好きだって伝えてるんだ。
そして優樹も俺の気持ちに応えはじめて来ている。
この秘めやかな愛撫で優樹が感じているのを見るだけで俺の方はヤバい。
顔を少し赤らめながら快感を押し殺そうとする優樹は最高に色っぽかった。
その瞬間、電話が鳴った。
一番電話に近い位置に居た母親がテーブルを離れる。
優樹は俺の手を掴んで払いのけた。
「優樹、芳美さんから電話よ。」
「う・・・うん。」
慌てるようにして電話に駆け寄った優樹を、背後から見つめる。
怒っちゃったかな。
ああ、もう身体は求めないって約束したのに。
感情に流されて触れてしまったことに一抹の後悔を覚えた。
「うん。え?ありがと。ごめんなさい。忙しいのに。」
優樹は後姿もきれいで、見とれてしまう。
こんな感情を持つ俺はやっぱり狂ってんのかな?
でも切ないほどに沸き起こるこの気持ちを捨ててしまうほうが俺にとっては狂ってる。
優樹は、俺の心に中心に居座ったままだ。
「わかりました。じゃあ今度。はい。」
優樹は話し終えたのか、受話器を置いた。
「芳美さん何だって?」
「僕がアメリカに帰る前にもう一度会いましょうって。」
「あら、忙しいのに。芳美さんもかなりあなたのことお気に入りよね。」
「そんなこと、ないよ。」
少し嬉しそうに、微笑む優樹を見てどうしようもない気持ちになる。
まったく・・・。
叔母にまで嫉妬して、どうすんだ?
俺は、自分で自分を笑った。
馬鹿な男だと、我ながら思った。
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