一ヶ月
side Yuki 01




「おはよう。」

リビングの扉を開けるとすでに母親が朝食の準備をしていた。
このにおいから察するとだしまき卵を作っているのだろう。
卵とだしのやさしい香りがふんわりと鼻をかすめる。
キッチンからたちこめるやわらかい湯気に、母親の後姿。
そしていつものように父親は新聞を読んでテーブルに座っている。
どこにでもある、ちゃんとした、家族の光景だ。





「あら、優樹ずいぶん早起きなのね。もう少しで朝ゴハンできるから待ってて。」


「今日はだしまき卵?」


「そうよ。優樹が戻ってきた時くらいちゃんとした日本に朝ご飯食べさせたいじゃない。好きだったでしょう?」


「そうだね。なんか懐かしいにおいがしてたから。」


「優樹、あっちではどうせパンとかそういうものしか朝食ではないんだろう?」


父親が顔を上げて僕に質問を投げかけてきた。


「そりゃそうだよ、日本じゃないんだから。みそ汁なんて全然飲んでない。」


「そんなことかと思ってちゃんと大好きなナメコのお味噌汁作ったわよ。・・・と、そろそろ浩樹起こさなきゃ。まったく呼んでも全然起きないんだから。」





そう言われてテレビの時計を見るとちょうど7時を過ぎたところだった。
弟の浩樹がバスケ部のキャプテンになっているという話は昨日すでに聞いていた。
そろそろ起きないと朝練には間に合わない。


「優樹、ちょっと悪いんだけど起こしてく来てくれる?」


「ああ、いいよ。あいつ相変わらず寝起き悪いんだな。」


そう言って僕は弟の眠る部屋へと向かおうとした。
そんな時急に制止の声がかかる。


「ちょ・・・ちょっと待って・・・。やっぱり私が起こしてくる。」


母親は僕の動きを止めると急ぎ足で二階へと上がっていった。
父親は気にもとめずに新聞から目を離さない。


けれど僕にはこんな母親の行動の裏に隠されたものがすぐに理解できた。


なるべく僕と浩樹とを近づけたくないのだ。
昨日からうすうす感づいてはいたのだがやはりそうらしい。
僕の方もなるべく浩樹とは接点を持たずに過ごしたかったので都合がいいことだけど。





しばらくすると浩樹が眠そうな顔で降りてきた。かなり眠そうな顔だ。


「おはよ。」


普通の朝の挨拶だ。


「おはよう。」


そう。普通に、彼も挨拶を交わす。


「おい浩樹、いい加減自分で起きれるようにしなさい。優樹はちゃんと起きてきたぞ。」


と父親が小言を言う。


「はいはい、わーったよ。俺時間ないからさぁ、早くご飯。」


「浩樹、そういう言い方はないでしょう。・・・まったく。さ、ご飯にしましょう。」





久しぶりの日本の朝食はやっぱり自分の体にすーっとなじんできた。
実を言うと留学した当初はあっちの食べ物が合わなくて大変だったのだ。
油っこいし、味は濃いわでその味に慣れるのにだいぶ苦労した。
普通アメリカに行くと高カロリーなものばかり食べ過ぎて太る人がよくいるが、僕の場合その逆だった。
食欲が減退してもともと細い体がさらに軽くなった。
そのうちルームメイトの協力もあって、なんとかあっちの食事に慣れる事ができたのだが、やはり和食を食べると改めて和食の良さを実感する。





家族四人で朝から食卓を囲む。
こんな幸せそうな家庭の中にも一人一人が抱えた心の溝がある。
父親は僕と浩樹のことについては何も知らない。
母親が絶対に知られないようにしているからだ。
現にあの事件以来母親は家庭を明るくしようと必死に努めている。
そんな母親の姿を見ると僕は言いようもない息苦しさを感じる。
表面的には何事もなく接しているが、時々僕に向ける侮蔑のまなざし。





『浩樹と、そんなことになるなんて・・・・汚いわ!』





汚い。そう彼女は言ったのだ。
浩樹を責めることなく、一方的に僕を睨みつけて。


僕はアメリカへ行く前からずっと母親の視線に耐えつづけてきた。
心の中では僕のことを汚いと思っているくせに、他の家族の前ではそんなことを感じさせないように接する。
その二重人格のような態度を見る度に、僕の心は負の感情で満たされる。
今ではそんな母親の態度に慣れてきていたので、今更取り立てて何も感じないけれど。


そう考えながら、視線を浩樹の方へ移すとふいに目があった。
浩樹は何か言いたそうに僕の方を見ている。





大好きな、弟。
そして、愛する、弟。





目が合ってしまうと視線が離せなかった。
このまま見つめあっていたいと、
そう思って数秒。
この時間が永遠であったらいいのに。
ただ視線を合わせているだけなのに妙に切なくなって。


そんな僕らに気付いたのか、母親の顔が曇る。
それを察して僕は瞬時に目をそらした。


「ごちそうさん。んじゃ、行って来るわ。」


そう言って浩樹は学校へと出かけていった。





浩樹は何を言いたかったのだろう。
逃げるようにしてアメリカに行った僕のことを憎んでいるのだろうか。


臆病な僕。


自分のことばかり考えて逃げ出した。
もう浩樹のことを愛してはいけないと、そう心に誓ったはずだった。
近くにいなければ忘れられる。
そう思っていたのに。


離れる時間が増えるほど、浩樹のことが頭から離れなくて。
一緒に過ごした時の幸せな想い出が僕を苦しめた。


やっぱり


やっぱりどうしようもないくらい浩樹のことが好きで。
自分の中で行き場もなく渦巻く想いに打ちひしがれた。


もしかしたら浩樹はもう僕のことなんか忘れているかもしれない。
でも僕は・・・離れている時も忘れられなかったし。
こうして会ってみるともう・・・。








なんとか、この一ヶ月。
この想いをひっそりと隠し通そう。
それが一番良い方法なのだから。









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