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「ユウキ!どうしたんだ?」


遠くの方で聞こえたのはジェフの声だと理解するのに数秒かかった。
慌てて僕の方に駆け寄ってきたジェフはこの細い体を抱きかかえた。


「キズを見せて?・・・これは酷い。」


僕の状態を見たジェフはリビングルームから救急箱を持ってきて、止血の作業を始めた。なんだか酷くうつろで、何がなんだか全然わからなかったけれど、ジェフがてきぱきと作業をしている様子がわかった。
出血量がすごかったのでジェフもだいぶ慌てていたようだが、処置が良かったため思ったより早く血は止まった。
僕のベッドは血が染み込んでいた状態だったのでジェフは僕を抱きかかえると自分の部屋へ連れ、ベッドに寝かせてくれた。
その間もずっと他人事のように見ていた。痛いはずの傷口も痛くはない。
ただ、どこか後ろめたい気持ちで一杯だった。


「気分はどう?」


一通り作業が完了した後、ジェフが聞いてくる。そう聞かれた時始めて自分の体がひどく熱を持っていることに気がついた。
このところ体調がすぐれなかったのと、傷を負ったことによって発熱したのかもしれない。それでもこれ以上ジェフに迷惑をかけたくなくて僕は力なく首を縦に振った。
そんな僕を見て何か異変を感じたのか、ジェフは手を僕の額に当てた。すると何も言わずに部屋の外へ消え、数分後に冷えたタオルを持って再び現れた。


「熱、出てる。」


やっぱりそうらしかった。どうりでぼうっとするわけだ。
タオルを額に乗せられた感覚が気持ちいい。ひんやりとした気持ちよさに僕は安堵の吐息をもらした。


「ありがと。」


「ありがと。じゃない。最近ユウキの様子がおかしくて、また憂鬱モードなのかなぁと思ってたからさ、一応様子見ようとしたらあんなことになってて焦ったよ。・・・あのなぁ、俺はユウキが自分を傷つけるのもそれなりに苦しいことがあって、生きるためにやってることだと思って黙ってたんだ。あんな深い傷をつけて・・・俺の信頼を裏切る気?」


いつになく怒った声のジェフ。声のトーンも低ければ、眉間に随分の皺が寄っている。


「ごめん。心配かけて。」


「謝らなくていい。一体俺はユウキの何?ただのルームメイト?ユウキの心の支えにもなってやれないような存在なのか?」


「そんなことナイよ・・・。」


そんなことない。ジェフの存在は僕がここにいる中で大きいものだ。どんなに辛い気持ちの時も、ジェフがいるとなんだか落ち着くし、がんばる気力も湧いてくる。
今まで決して僕に踏み込もうとしなかかった彼の存在は、予想以上に僕の中に入ってきているのは事実だ。


「だったらユウキが何に苦しんでいるのかきいてもいい?・・・今までは、話したくないことは無理に聞かないようにと思ってたけど、そんなの淋しすぎる。もっと、俺を頼れよ。」


ここにもこうして僕を心配してくれる人がいる。それなのに僕はなぜいつもこうなんだろう?
更なる自己嫌悪が僕を襲った。


「ジェフに話せるような話じゃないんだ。」


「どうして?やっぱ俺なんかには話せない?」


「そういうんじゃなくて・・・話して嫌われてしまうのが怖いんだ。」


いくらゲイのジェフにだって、僕が実の弟と寝ていたなんてこと言えるわけない。そんな汚らわしいヤツだと思われるのは酷く怖い。


「話せよ。どんなユウキだって俺は大切なんだ。嫌うなんて事絶対に・・・ない!」


ジェフは僕の頬を両手で包み込んだ。まっすぐな瞳。この澄んだめと甘い言葉で何人もの男を落しているのか、とそんなことを思った。
何より僕の心がとてもぐらついている。胸にしまいこんだこの重苦しい感情を、誰かに打ち明けてしまいたかった。
さらにこの熱のせいで、僕の判断力は失われている。
僕はふいに言ってはならない言葉をもらした。


「好きな・・・人がいたんだ。」


あえて過去形で話した。現在も思いつづけている、その事実を認めたくなくて。


「それは、日本に残してきた人?」


「・・・うん。今まで生きてきた中で、一番愛したひとだった。
でも・・・その人と一緒にいることができなくて、僕はここに来た。絶対に好きになってはいけない人だったから。」


こうやって話すと、浩樹の好きだったところばかりが頭に思い出された。
僕を呼ぶ声、僕の髪をやさしく撫でるごつごつした手、抱きしめたくてしょうがなかった広い背中。


「まさか、不倫とか?・・・でも、好きになっちゃいけない人なんていないよ。」


好きになっちゃいけない人なんていないという、ジェフの言葉が尚更僕の胸を締め付けた。きっと、キレイな人間には実の弟を好きになるなんていう汚らわしいことは思いもつかないのだろう。


こういう風に自分の絶対に知られたくないこと。最後の最後まで隠しておかなくてはならないジョーカーを切り出すのは実に二度目だと思った。
前回の芳美さんは一応僕の話を受け入れてくれた。しかし他人であるジェフはどうだろう。もしかしたら嫌われてしまうかもしれない。


「君は、ずっと僕のことをノーマルだと思っていたみたいだけれど。まずはそこから話をしよう。僕はね、今まで人を抱いたことがないんだよ。」


「おや、優樹はひょっとしてチェリーボーイだったのかい?でもそんなこと恥ずかしいことじゃない。日本人はオクユカシイんだろ?」


「まぁ、ある意味そうなのかもね。でもセックスしたことはあるんだよ。」


「え?」


「ジェフの今付き合っている彼は童貞かい?」


ジェフは以前二股かけられてた…(名前は忘れたが)、その二股男からさっさと乗り換えて、すでに新しいステディを得ているのだ。


「いや、アイツはどっちもOKなはずだから。多分違うんじゃないかな。…あっでも俺はアイツにヤラれたことはないけど。」


と、ジェフは慌てて否定した。


「そうなんだ。そういう人もいるんだね。でも僕は違う。僕は今まで人を抱いたことはなくても、男に抱かれたことはあるんだよ。それも、何回もね。」


「その相手は、ひょっとして優樹の日本に残してきた想い人なのか?もしや相手が男だから苦しんでいるのかい?そりゃあ、俺だって男しか愛せないことに気付いた時は随分悩んださ。両親にカミングアウトした時は随分泣かれたしね。
それでもこの捻じ曲がった性癖だけはどうにもならないって開き直った。異性愛だってどうしようもない風にしか愛せないヤツとか、それこそ変態じみたことしてるヤツらなんてたくさんいる。
俺の場合相手が男だという点は異常かもしれない。だけどさ、その代わりにめいっぱい相手を愛せるように、一人の人間として恋人を大切にしてさえいれば、それは誇れることなんだってそう思い始めたんだ。
優樹もそういうふうに割り切れとは言わない。ましてや俺の考えを押し付けることもしないけど…それで苦しんでるんだったらもう少し楽になって欲しいと思う。」


ジェフらしい考え方だと思った。ジェフをゲイだと罵る人がいても、その輝きは変わることはないのだろう。
しかし僕は一番大切で、知られたくないことを告げなければならない。


それが、今だ。


「ジェフは、兄弟いる?」


「いるよ。俺は三人兄弟の末っ子さ。だから少々ワガママすぎるのかもしれないね。」


そう言って肩をすくめた。ジェフなりに、この場を和ませようとしてジョークを言ってくれているのがわかった。


「僕はね、ジェフ。たった一人の大切な弟と、何回も寝たんだよ。」


熱が上がっているのがわかった。真実を告げた途端、今日切り開いた腕がドクドクを痛むのを感じた。


「実の弟だよ?ずっと一緒に暮らしてた、実の弟を好きになって、何回も抱かれた。
母親にバレてからは散々罵られて、汚いもののように扱われた。いや…違う。ように、じゃなくて本当に汚いんだ、僕は。
アイツを苦しめると分かっててそれでも求めたこの、浅ましい僕がいけないんだ!」


いざ言葉で認めると、自分の中に潜んでいる罪悪感や、自分に対する嫌悪感が決壊したダムのようにあふれ出てきた。
たまらなくなって、自分の髪の毛を引っ張ってかきむしった。


「いつまでもこんな汚い想いを抱いている自分がうらめしくてしょうがないんだ。もう一生浩樹には会わないってそう決めてここまで逃げてきたのに、僕はまるで病気みたいに浩樹を忘れてはやれない。自分を罰しなくちゃって思うと、体を傷つけたくてたまらなくなってくる。どんどん血を出して、汚いものを出さなくちゃって…!バカみたいだよね?そんなことしてもきれいになんてなれないのに…!」


「ユウキ!落ち着け!」


僕は爆発しかけた体をどうしていいか分からずに、ジタバタと暴れた。それをジェフが制止する。
熱くなって激しく暴れた体をジェフが抱きとめた。


「ユウキは、汚くなんてない。ユウキは、悪くない。」


何回も何回もそう繰り返す。まるで、呪文のように。
しかしその言葉を信じることはできず、それでも意味もなく体は落ち着いてきた。

このときの僕はどこかおかしかったのかもしれない。
熱のせいだなんて思ってみても、どこか言い訳がましい。
結局僕は彼に救いを求めてしまったのだ。
いけないと、警鐘を鳴らす自我はどこかへ行ってしまった。






「僕が汚くないって言えるなら、僕を抱ける?」


なんて狡猾な取り引きなのだ。僕を抱いたところで、ジェフが得るものなど何もない。
僕の苦しみの片棒を担がせるようなものだ。


「そんな風に体を重ねても、ユウキは絶対に後悔するよ。」


そう、言うだろうと思った。相手のことを一番に考える、優しいひとだから。


「やっぱり、こんな汚い僕は抱けない?」


僕はずるい。絶対に断われない状況を作っている。
自分でも自覚した。
性的な意味をこめて、ジェフの首に手を回した。そしてキスを、ねだる。
口の中は熱でいつも以上に熱いに違いない。
相手を誘うように、わざといやらしいキスをした。
やがて、唇を離した瞬間、ジェフは言った。


「俺は運命の相手を求めながらも、享楽主義なんだ。ユウキの苦しさが少しでも和らぐなら、それを受け入れるよ。」


しょうがないなぁ、という風に、ジェフは肩をすくめた。


「いいから…抱いてよ。何もかも忘れるくらいに。」







こうして、僕とジェフの蜜月は始まった。
後になって思えば、それはかつてないくらいに穏やかな時間だった。
ただ、安らぎだけがそこにあった。






         







2004/11/12







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