ジェフとの日々は穏やかに過ぎていった。
もともとこれまで生活をしてきた中でもジェフと僕とは非常に波長が合った。
ジェフは明るくて、会話が上手で、いつも僕を笑わせてくれる。そのくせ甘えん坊なところもあってかわいい。
しかし実際には甘えているフリをして、上手く僕を安心させてくれる。そんな不思議な魅力があったのだ。
僕と関係を持つようになったぐらいから、努めてそうしたのかは分からないが彼には特定の恋人はいなくなった。
いつでも笑いが絶えなくて、はたから見ればいちゃついているように見える僕らは、近しい人にはカップルだとみなされるようになった。僕達もあえてそれを否定はしない。お互いが恋ではなくても、一緒にいれることを最良としていたし、よきパートナーであった。僕達の間だけでこの関係を理解できていればよかった。
心に平定を取り戻してからは、僕のリストカット癖は落ち着いてきていた。
以前よりそれぞれの自室を行き来するようになったせいか、ルームシェアではなく同棲になっていったからかもしれない。
一緒にいる時間が長ければ安心する。一人で居ても心が闇に染まる前に自力で立ち直れることができるようになっていたのだ。
もちろん日本でのことは思い出す。けれども僕は今、過去を捨ててきたというより、乗り越えようとしていた。
季節は、夏を迎えていた。
「では皆様、免税の手続のある方は、あちらのTAX FREEと書かれた受付でチェックを受けてください。それ以外の方は7番と書かれたチェックインカウンターで各自個人様でチェックインを終えられた後、手荷物検査をして搭乗ロビーでお待ちください。」
今日は日本からやってきたツアーの観光客をニューヨークの空港まで送り届ける仕事にきていた。税金のことや大きな空港内でのいろいろなことは旅慣れない人にとっては大変なことである。特に年配の旅行者の場合はきめ細かい説明が必要な場合があり、通常の添乗員のサポートをしに現地係員として参加している。
どうやら今回のお客様は滞りもなく手続を終えられ、無事に搭乗ゲートへと入っていった。
「それじゃあ後藤さん、有難うございました。お客様全員の手続が完了しましたので。」
「いえ、こちらこそ。日本までまだまだ長い旅ですが、頑張って下さい。」
一週間ほどのツアーだったというが、付きっ切りの添乗員の苦労は多大なものだろう。僕は担当の添乗員の女性に労いの言葉をかけて別れた。
ニューユークへの出張は珍しい。たいていはボストンにある旅行社の支局で事務的な仕事をしたり、ボストン観光のサポートを行ったりするからだ。今回僕がここに来たのはニューヨークへ行く予定だった担当者が急に寝込んでしまい、代打というわけだ。
早朝のフライトだったので昨夜からニューヨークのホテルに泊まっていた。ニューヨークまで出てきたということもあり、今日は一日中オフだ。お昼ぐらいからジェフと遊ぶ約束をしている。
まだジェフが来るまで時間があるので、空港内のカフェで時間を潰そうとしたその時。
思いがけない人物を目にした。
とっさに隠れようとしたが、向こうも僕の存在に気付いたらしく、ハっとしたような顔で立ち止まった。
この時出逢ってしまわなければよかったと、後で何度も思うことになる。
彼を目に止めてしまった瞬間、周りの風景がぼんやりして時が止まった。
一瞬逃げようかとも思ったが、体が固まって動かない。そうこうしている間に相手は僕の前まで歩いてきてしまった。
「優樹兄ちゃん・・・?」
まずい。僕はここにいることを知られてしまってはいけないのだ。
浩樹はもちろん、浩樹と関わっている全てのものとも一切の関係を絶たなくてはならなかった。その、自分の中のルールが今こうして破綻しようとしている。
「和人君・・・。」
僕が相手の存在を口にした瞬間、急に肩を掴まれた。
「優樹兄ちゃん!!こんな所にいたの?・・・まさか、会えるなんて。みんな探したんだぜ?急にいなくなっちゃって・・・浩樹がどれほど・・・。」
「待ってくれ。」
僕は和人君の言葉を遮った。興奮してはいたけれど、最悪これだけは伝えておかなくてはいけないと思ったことがあるからだ。
「僕とここで会ったということは、誰にも言わないで欲しい。」
「そんなこと言っても・・・。困るよ。俺だって随分心配したんだぜ?」
「みんなに心配かけて悪かったって思ってる。でも、誰にも知られるわけにはいかないんだ。分かってくれ。」
僕の頼みが和人君に通じることを祈った。じゃないとまた僕は逃げなければならないと思った。今ここでジェフと暮らす、落ち着いた毎日を手放したくはない。
「・・・わかった。とりあえずじっくりと話をしないか?俺は今ボストンに住んでいるんだ。今日はちょっと人を迎えに来てて・・・。」
和人君が今僕と同じボストンに住んでいるということを知り、尚更警鐘が鳴り響いた。そんな近い所にいたのか。とは言え、ボストンと言っても広いから、今まで会わなかったのにもなんの不思議もないが。
「誰?晶子ちゃん?迎えにきてるのって。・・・まさか浩樹じゃないよね?」
人を迎えに来るということに、一抹の不安を感じた。和人君のみならず浩樹にまで見つかってしまったら・・・もう終りだ。
「・・・・いや、それは違う。同じ大学の友達が里帰りしてて。今日アメリカに帰国するから車で迎えに来いっていうから。」
一瞬、和人君の瞳が暗く濁ったように感じた。が、それも一瞬で、すぐに気の良いいつもの調子に戻った。
「そうなんだ。大変だね。」
「優樹兄ちゃんは?何?今NYに住んでるの?だったら今度また会いにくるから。」
「いや、実は僕も今ボストンに住んでいるんだ。今日は仕事で来ただけだから。」
「わかった。じゃあ近いうちにボストンで落ち合おう。食事でもおごるよ。電話番号とか教えてもらっていいかな?」
「絶対に、誰にも言わないって約束する?」
「ああ、約束するよ。・・・ごめん、今ちょっと時間がないんだ。ここに書いてくれる?」
和人君はアドレスブックを出して、僕に記入するように求めた。これ以上彼に関わってはいけないと思いつつ、完全に黙っていてくれるという自信もなくて、とりあえず一度会うくらいなら問題はないと思った。ためらいもなく電話番号を書き記す。
「ありがとう。それじゃあ、ボストンに帰ったらまた連絡するよ。じゃ。」
本当に急いでいるのか、足早に走り去っていった和人君の後姿をみてため息をついた。
思いもよらない人とあってしまった動揺からか、またはどこからか感じるイヤな予感のせいか。
ジェフには申し訳ないけれど、この日の一日デート中、モヤモヤとした気持ちを抱えていた。
暗い瞳で空を見つめる僕を、彼は心配してくれて。
ちょっとフンパツしていいホテルに泊まって、一晩中愛してくれた。
優しいキスと、ちょっと激しい愛撫に身も心もとろかされた。
幸福と不幸は常に隣り合わせに存在するということを、僕は知ることとなる。
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