「眠れないの?」
何度目かの寝返りを打ったとき、ちょうど目の前にあった顔が語りかけてきた。
「ごめん。起こしちゃった?」
だとしたら非常に申し訳ない気分になった。目下大学院生であるジェフは、最近ちょっと忙しいらしく、夜遅くまで論文とにらめっこしていることが多かった。今日も日付が変わる位まで机に向かっていたが、それから僕のベッドにもぐりこんできたのだ。
ジェフと僕の住む部屋は、ダイニングキッチンを挟んで二部屋に分かれており、以前はそれぞれの部屋として使っていた。しかし最近ジェフの部屋はもっぱら論文を書くための書斎に使われていて、いつもこの狭い僕のベッドで二人で寝てしまう。
これはもう、他人に同棲と呼ばれてもしょうがないよな、と我ながら思う。この近くのアパートに住んでいて、ジェフと同じゼミ生でもあるケイトが偶然にも開いていた部屋の扉を無断で入ってきた時などには、一つのベッドでのん気に寝ているところを発見されてしまった。彼女はいつのまにそんなことになってたの、という顔をしていたが、祝福してくれた。
その祝福に僕らは顔を見合わせて苦笑いをしたものだ。
そう、僕らは安定している。きっと本当の恋ではなくても、これは幸せなんだ。
とても満たされているし、安らげる。まぁ男女の恋愛ではないけれど、こうして堂々と抱き合えることの喜びを初めて知った。
だからとても幸せそうにしている僕を、ジェフは優しく見守ってくれていて。
また精神のバランスを崩したりなんかしたら酷く心配させてしまうだろう。だからがんばって明るく振る舞っていたはずなんだけど・・・。
明日、浩樹の親友である和人君と会う約束をしていることが僕の心に重くのしかかっていた。
浩樹の一番の親友である和人君が本当に僕のことを黙っていてくれるかわからなかった。それに、和人君と話せばいやでも浩樹のことを思い出さずにはいられないだろう。努めて忘れようとしてきた浩樹への思慕が再び燃え上がることは避けたかった。今僕の胸を覆うのは漠然とした不安。
不安をやり過ごそうとして、ジェフの首に腕を回した。そんな僕をジェフはぎゅっと抱きしめてからおでこにキスを落す。
それから耳や鼻の頭や、顔中のいたるところにキスを降らせ、最終的にそれは唇をおおった。
はじめはついばむようだったそれは、次第に情熱を孕むものへと変化し、それと同時に彼の巧みな指先が僕のパジャマの隙間から敏感な場所をなぞった。
「・・・んっ・・。やっ・・・。ダメ。・・・疲れてるんでしょ?」
僕に気を使わせてしまうのが悪くて、やんわりと拒否した。
「しょうがないだろ?ユウキがそんな顔して俺を誘うから。こんなになったらもう寝れないよ。俺に一人で処理しろっていうのかい?」
そう言って彼は熱くなった昂ぶりを僕の太股に押し付けた。それは間違いなく興奮の印だった。
そしてそのセリフに恥ずかしくなった僕は、たぶん明かりがついてたらすぐに真っ赤になっていることがバレいただろうというほどにドキドキしていた。
「ごめんね。起こしちゃって。」
「いいよ、俺も最近論文で忙しくて全然ご無沙汰だったし。しよう。そしたら二人でぐっすり眠れるさ。ユウキももう辛そうだし?」
そう。僕の下半身ももう収拾のつかないほど高まっていて、パジャマのズボンを必死に押し上げていた。それを衣の上からやんわりと握られて衝撃が走った。
「ああっ・・・!はぁ・んんっ・・や!」
ジェフとのセックスは満たされるということしか知らない。彼の性格なのかもしれないが、とことん尽くすタイプなのだ。
だから僕が気持ちいいということを最優先に、巧みなテクニックを卑猥な言葉で僕を高みに押し上げる。
今日の僕も一抹の不安を胸のすみに押し上げなから、ジェフに翻弄された。ちょっと利用してしまったみたいで申し訳なかったけど、おかげで朝までぐっすりと眠ることができた。どんな悪夢も襲ってこなかった。
ボストンのダウンタウンにあるレストラン、それが待ち合わせに指定された場所だった。あいにく行った事がなかったので地図を頼りに行くと、そこは気軽な感じのイタリアンの店だった。
店内はイタリア風の白い壁と明るいレンガの装飾、それから至る所に植物が配置され、いい雰囲気の店であった。
奥の方の席に目をやると見知った顔がいるのがわかった。ウェイターの案内に待ち合わせだと告げ、その方向へと進んでいく。
「ごめん。待ったせちゃったかな?」
「いや、俺も今さっき来たところなんで。ま、座ってよ。すいません。」
僕を席につかせるとすぐに店員を呼んで注文を始めた。
「ここのピザ本格的でウマいんだよ。優樹兄ちゃん何か嫌いなものあったっけ?」
「特にはないよ。」
「わかった。じゃあこれと、あとこれ下さい。あとワインは・・・そうだな、じゃあこれ下さい。」
和人は流暢な英語でメニューを注文してくれた。その語り口から、海外生活の長さを感じさせた。
「随分英語上手なんだね。昔からそんなにペラペラだったっけ?」
「まさか、高校時代は全然しゃべれなかったよ。実はさ、高校卒業してからバスケ留学しててさ。それからずっとアメリカにいるんだ。
和人君と浩樹は幼馴染である上に、同じバスケ部で活躍していた仲間であることを思い出した。
浩樹は・・・どうしているのだろう?考えまいとしても気になって仕方がなかった。
「すごいね。バスケでここまで来れるなんて?NBA目指してるの?」
運ばれてきたワインは飲みやすい軽めの赤。酒の勢いもあってか、僕は今までのだいぶ楽に会話することができるようになっていた。
「いや、実はもうバスケはプレイしていないんだ。」
苦い顔をして和人君は言った。
「どうしたの?怪我でもしたのかい?」
「ああ、膝を痛めちゃってね。日常生活に支障はないけど。今はチームのコーチのツテでアメリカの大学で勉強しているんだ。スポーツ工学をかじってる。バッシュとか作ってみたくてさ。なんだかんだ言ってバスケから離れられないみたい。」
そう言った和人君の顔は今や迷いは感じられなかった。夢を失ってもなお、新しい道を探しつづける強さが感じられた。
「そっか・・・怪我は残念だけど、充実した日々を送ってるんだ。よかった。」
「それよか優樹兄ちゃんは何をしてるの?ホント、まさかこんな所で会うとは思わなかったよ。」
「僕もだよ。まだびっくりしてる。今はね、旅行会社の現地スタッフしてるんだ。それで空港にいたわけ。」
「へぇ・・・そういう仕事してるんだ。やりがいのありそうな仕事だね。今幸せそうだから別に何も言わないけど・・・でも、どうしてあんな風に日本を離れたんだ?」
そういうことは聞かれるだろうと思ってた。一生誰にも何も言わないつもりだったけれど、生きている限り過去を完全に捨て去ることは無理だとも感じていた。
なぜ、日本から離れたのか。
「和人君は知っているんだよな。だったらわかるだろ、考えれば。僕は日本にいちゃいけなかったんだ。今でも、離れてよかったと思ってる。」
「何でだよ?優樹兄ちゃんがいなくなってから、親御さんも・・・もちろん浩樹だってショックだったんだぜ?アイツなんか結構荒れて・・・。今優樹兄ちゃんが幸せそうなのは分かる。だからって・・・周りを不幸にしてきてもいいって言うのかよ?
」
海を隔てている分、僕の家族がどうしているかという情報は皆無だった。芳美さんから多少に近況は聞くくらいで。
だから彼らを苦しめていることは予想がついたが、それをリアルに感じてはいなかった。その現実を改めて突きつけられているような気がした。
「ゴメン・・・自分のワガママだってことはわかってる。それでも僕らにはもうこうするしかなかったんだよ。」
和人君は辛そうに眉根を寄せて、ため息をついた。
「優樹兄ちゃんのおかげで浩樹は・・・。」
一瞬、時が止まった。僕のあの決断が浩樹にどんな不幸をもたらしたのかと、全身が耳になってその先を聞こうとした。
「浩樹は・・・浩樹はどしているんだ?」
「・・・最初は荒れてたよ。最初に優樹兄ちゃんが留学した時みたいに、どこか思いつめた感じだったし。でもまぁ、安心して欲しいのは、今は平和に暮らしてるらしいよ。」
「・・・らしい?って。」
「俺がアメリカに来てからはあんまり・・・連絡とかとってないんだわ。お互い筆マメでもねーし。でも話を聞くところによると今年の春にちゃんと就職したらしい。」
「そっか・・・。」
浩樹が社会人としてちゃんと生活しているらしいということに大きな安堵を覚えた。日本で唯一連絡を取り合っている芳美さんは浩樹のことについては何も言わない。浩樹が僕のことを何も知り得ないというのに、僕だけ知ることができるのは不公平だし、忘れたいのなら名前を出さないほうがいいだろうと決めたことだった。
浩樹が、僕という酷い過去を捨ててちゃんと成人したことが嬉しい。迷惑をかけっぱなしだった両親もさぞや安心していることだろうと思った。
「まぁ、今は優樹兄ちゃんも幸せそうだし、アイツもちゃんとやってるみたいだから他人がとやかく口出すことじゃないけどさ。ごめん。分かったような口きいちゃって。
」
「いや、謝らなくていいよ。浩樹の友人である君が、怒るのは無理もないと思うし。それより、本当に身勝手だとは思うけど・・・僕のことはやっぱり家族には秘密にしておいて欲しいんだ。」
「優樹兄ちゃん以外と強情だからな。・・・わかったよ、誰にも言わないよ。」
「ありがとう・・・。感謝するよ。」
「ま、それよりさ、どんどん食べちゃってよ。そんでさ、ウチのアパートこの近くなんだけどもう少し飲み直さないか?せっかく再会できたんだから一杯話したいことあるしさ。」
「え・・・でも、悪いよ。突然。」
「いーって気にするなよ。狭いところだけど。いいだろ?」
今日は昔の友達と会うから遅くなるとジェフには言ってきていた。少しくらいなら遅くなっても構わないだろうと、断るのも悪いのでこの誘いに乗った。
運命は、再び廻り始めていた。
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