<8>




夏とはいえ、早朝は冷え込む。
上はシャツ一枚しか着ていないので随分と寒くて身震いがする。それとも、ガチガチと歯が当たるような異常なまでの震えは、もしかしたら寒さのせいなんかじゃないかもしれない。
でも、今の僕にはそんなことどちらでもよかった。
明らかに憔悴しきったような顔で、ボロボロになって歩いている僕を、早朝ランニングしているおじさんが怪訝そうに一瞥した。
もう一歩も歩けないくらい疲れきっているのに自分でも不思議だが、足は進む。
早く----------帰りたい。

苦渋の末、日本から遠く離れたこの地でやっと手に入れた安息の場所に、今すぐ。
痛む体に鞭打って早く歩いているはずなのに、こんなにも我が家は遠かったのだろうか。
それでも見慣れた通りにさしかかり、自分の住むアパートが見えてホッとした。


(あぁ・・・・・・やっと帰って来れた。)


安堵感からか、麻痺した感覚が戻ってくる。アパートの階段を上ろうとした時に体の節々が痛んで顔をしかめた。
階段の中腹地点で眩暈がし、踊り場で体勢を整える。一息ついて落ち着かせてから一気に最後の何段かを上った。
アパートが2階でよかったと、この時ほど思ったことはないだろう。
ズボンのポケットから鍵を出して、鍵穴に差し込んだ。
しかし震えてしまってなかなか手元が思うように動いてくれない。鍵と鍵穴の間にカチャカチャという虚しい音だけが響いた。
息だけが、上がってしまう。
ふと、鍵穴にヒットしないのに扉が開いた。見知った顔が見える。


「ユウキ?帰って来たの?・・・・!何?怪我しているのか?」


ジェフの、その優しい声色が愛しくて、思わず胸に崩れ落ちた。


「どうしたんだ。こんな時間に帰ってきて。誰かに暴力でもふるわれたのか?」


「何でも・・・ない。ごめん。こんな朝早くに。」


「何でもないわけないだろう?この傷を見て。ああ・・・傷の手当てが先だ。」


ジェフは僕を抱きかかえるようにしてリビングへと向かった。
しかし胸の奥から強烈な吐き気がこみ上げ口を覆う。気付くと無意識のうちにジェフの手を振り切り、キッチンのシンク へと走っていた。


「うぅっ・・・げぇ・・・げぼっ!!」


一気に腹の内容物が逆流する。その中に昨夜食べたピザの破片のようなものが混じっていて、嫌な感触がよみがえってきた。
ジェフが背中をさすってくれたおかげで、思い切り吐くことができた。これ以上出すものがないというぐらいに吐ききった後で、後ろにいたジェフを背もたれにするようにしてよっかかった。
吐くのは随分と体力の要る仕事だ。


「ユウキ・・・大丈夫?楽になった?」


「・・・。」


声を出す力もなくて、ただ、頷いた。


「なんか・・・熱くないか?」


ジェフがあわてて僕の額に手をやった。


「熱が・・・る。け・・・う、た・・・な。」


熱があるのか、とどこか客観的に思った。どうりでさっきから視界がぐらぐらする。
そう思っているうちにだんだんと周りの景色に色がなくなり始め、モノクロになっていった。
最後に、優しいジェフの手のひらの感触を感じて、意識が途切れた。























幾度も打ち付けられる肉の感触が、僕を容赦なく揺らした。
僕の両足を高々と抱えながら穿つ男は、もう何度も何度も達していた。
奥の方に熱い飛沫がぶちまけられる度に、もうこれで終りかと思うのだけれど、再び勢いを盛り返したそれで僕を絶望に突き落とす。
そういえば、彼も浩樹と同じスポーツマンなんだっけ、なんて関係無いことを考えた。
何度か彼の放ったものと僕の血で、僕のそこは潤ってはいたけれど、何時間も続けられた行為でいい加減ヒリヒリを通り越して熱を持ってきているみたいだ。
もう意識もなくなりかけた頃、和人君が苦しそうに呟いたのが聞こえた。


「しょう・こ・・・・しょうこぉ・・・・晶子・・・。」


他の女の名前を言いながら、彼は涙を流していた。
そこでやっと、僕の視界に暗転が訪れた。

気を失っていたのは多分ほんの数十分だったと思う。
意識は朦朧としていたが、言いようもない鋭い痛みによって覚醒せざるを得なかった。
つながれていたロープは解かれて、もはや僕を拘束するものは何もなかったけれど、あまりの体の重さに動く気にもなれない。もっとも、今更逃げたところで何も変わりはしない。
すぐ横に、僕をいたぶっていた男が煙草をくゆらせていた。
その瞳はどこかうつろで、感情がまったく読めなかった。


「アンタがアメリカに帰ってしばらくの間、アイツは幸せそうだった。自分達の関係にハッピーエンドという言葉が似合わないってちゃんとわかってたみたいだけど、どう転ぶにしても自分が強くならなければ優樹を守れないからって前向きだった。
しばらくしてアンタの行方がわからなくなって、家族はもちろん浩樹も随分探したんだ。アイツ、アメリカにまで行ったみたいだったし。それでも見つからなくて、多分自分が今まで頑張ってきたことの全てが虚しくなってたんだろうな。バスケもやめちまって、前みたいに荒れて。一緒に全国目指そうって言ってたのによ、高校のバスケ生活すべてを捨てるほど落ち込んでた。最初にアンタがアメリカに留学した時みたいな、いや、もっと酷かったな。俺と晶子はそれが見ていられなくて、おせっかいだとはわかってたけどアイツのそばにいてやったんだ。本当に立ち直ってほしかったから。」


そこまで独白して、和人君の顔に苦しい何かが浮かんだ。今話したことは本当の話なんだろう。僕が記憶していた和人君は、友達思いで、本当に浩樹とは仲がよくて熱い男だった。少なくとも、こんな虚ろな目をしながら僕に残酷な行為を強いるような男ではなかったハズだ。

彼に、何があった?

「ある時、だんだんとアイツの顔が変わったんだよ。後ろばかり見てちゃいけないって気付いたって言って、明るくなって。
俺、本当に嬉しかったんだ。久しぶりに本当の浩樹の笑顔を見た気がしたから。
でも、その裏に何があったと思う?アイツの、満面の笑顔の裏に!」


今まで落ち着いて話していた姿が急に変わり、僕の肩を掴んだ。


「アイツら、出来てたんだよ。俺に隠れて!」


一瞬、和人君が何を言っているのかわからなかった。
理解できずに目をパチパチとさせる。


「アレだけアンタを失って悲しんでた浩樹に、俺がどれだけ世話を焼いたか。見返りがほしくてやったんじゃない、心の底から親友だって慕ってたし、アイツのこと好きだった!それなのに、アイツは!!晶子とヤってたんだよ!信じられるか?こんな裏切りってないだろ!」


彼は激昂して俺をビンタした。


「アンタのせいだ!アンタがちゃんと浩樹の問題を解決せずに、逃げたからいけないんだ!そのくせ、こっちでは新しい恋人とよろしくやりやがって!!俺はアンタが許せねぇ!浩樹以上に、アンタが!! 」


また、顔を往復で殴られる。手足は自由なのだから受け身をとるなり、少しは攻防できたはずなのに、僕はその怒りに身を任せた。
浩樹が自分の幸せを見つけて欲しいと願いながらも、この事実が僕を打ちのめしていた。
何故だろう?
浩樹が他の女とそういうことになっていて、嫉妬したのか?
それとも僕の逃げによって沢山の人の人生を狂わせてしまったことに対する罪悪感なのか。
正直、僕の容量は超していて、もう何も考えられない。


「アンタが俺の女を奪ったんだから、ちゃんと責任とれよ!」


「せき・・・にんって何?もうこうして僕をメチャクチャに抱いて、気が済んだ・・・だろ?」


「これくらいで俺の怒りが収まるとでも思ってンのか?ああ?アンタにはまたココに来てもらう。」


「え?」


「女の代わりしろって言ってんだよ!弟を唆しただけあって、アンタの体は最高だったぜ。晶子と別れてから、淋しい生活送ってたんだ。俺の満足するまで足開けよ。」


「イヤだ!君が浩樹を憎しむ気持ちはわかる。でも僕にこんなことしたって何になるんだ?何にもならない!」


「自分には同棲相手がいるから困るって?そんなの関係ねぇよ、俺の方が優先だろ?アンタにはそれだけの罪がある。
そもそも、兄弟のヤロー同士でセックスすること自体オカシイんだよ。それ自体、許されねえよ。汚らわしい!」


自分の罪状を目の前で読み上げられている罪人のような気分だった。そうだ。僕の頭はオカシイ。そして、汚い。心も、体も。
知ってるさ、そんなこと。その現実に必死に目を背けてきたってことだろう?


「そんな汚らわしい僕なんかに構ってたら、君も汚れてしまう。憎しみは、人を駄目にする。」


「キレイ事言ってるんじゃねーよ!アンタは黙って足を開いてりゃいいんだよ。俺はもう・・・とっくに壊れてるんだ。
まぁ、どうしてもイヤだっていうならしょうがないけどな。怒りの矛先を変えるだけだ。」


そう言った彼の顔が、狂気に歪む瞬間を見た。


「浩樹に・・・何かするなんて、許さない。それだけはやめてくれ!」


「アンタは何でも浩樹が一番なんだなぁ。くくっ。でも安心してくれよ、浩樹にも、晶子にも手は出さねぇからよ。」


「じゃぁ・・・君は、一体何を・・企んで・・・いるんだ?」


「優樹兄ちゃんが、抱かせてくれない代わりにどうしようか?俺はもう正気じゃいられない。人殺しでも何でもやってやるよ。
赤子の首をひねることなんて、簡単だろうし。」


「・・・?」


「アイツらのガキの名前、何ていったっけなぁ?」


「えっ!?」


「ああ、優樹兄ちゃんは気にしなくていい。俺の、独り言だから。」


「気にしないわけないだろう?浩樹、子供がいるのか?その子に危害を加えようっていうのか?」


「そうか、アンタにすりゃ一応姪っ子か。気にならないわけはないよな。でも駄目だ。俺はこのやりきれない怒りをどこに向けたらいいかわからないんだ!!」


信じられない。浩樹がもう子供を持つ父親だなんて。
きっと、幸せなんだろう。浩樹は昔から子供が好きだったから・・・。


僕は、自分がしてきたことの贖罪を、ここでしなくてはならないのか。
もちろん好きでもない男に、思うままに足を開いて蹂躙されるなんてまっぴらだ。しかし浩樹の今の幸せを壊さないために、僕が今ココで彼の憎しみを一身に受けなくてはならないことは、解りきっていた。
僕には、選択の余地などない。


「・・・わかった。もう、どうにでもしてくれ。」


ため息をつきながら、承諾の旨を発した。
何があっても、譲れないものは、浩樹とその家族の幸せだと思うから。
僕はそのためだったら何でも受け入れる。


「フン。最初からそう言ってりゃいいだよ。俺のしたい時に、電話するから、そしたらすぐに来い。わかったな?」


僕は、それに頷くしかなかった。







この瞬間僕は、地獄のような日々が始まるのだろうと、予感した。

イヤな予感ほど的中するものだと、後で僕は知ることになる。














         







2005/3/29












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