<14>






今でも時々、夢に出てくるんだ。
空港の雑踏と、一瞬唇が燃えるように熱くなる感覚と、あの人の後姿が。

名前を付けるならばたぶんこれが幸せなのだろうという日々の中で。
ふいによみがえる、あの夏の残像。





















「ごめんなさい。突然電話して。・・・だけど頼れそうな人はあなたしか思いつかなかった。」

急に回り始めた運命。そのあまりにも突然すぎる何もかもに言葉を失った。
ここ何年かで手に入れた幸福が足元から崩れ落ちていくかのような音が聞こえる。
そんな思いの中で、何かに縋りたくてダイヤルを押した。
彼女に、どうして欲しいとか、そんなことも考えていなかったけれど、動揺は俺を突き動かした。

『ちょうど良かったわ。今あなたに連絡しようと思っていた所よ。』

思いがけない言葉に驚いた。そして、彼女が僕に連絡しようと思った理由もなんとなく悟る。




『もしあなたが過去をすべて捨て、今そこにある幸せを守って行きたいのならば今すぐにこの電話を切りなさい。そして私がこの件に関わっているということを忘れて。』




やはり彼女が関わっていたことが間違いではないことを知る。




『だけどやっぱり、取り戻したいものがあるのなら仕事を放りだすぐらいの覚悟で、私と一緒に行って欲しい所があるの。』


「それは、兄の・・・優樹のいる所ですか?」


『ボストンよ。私は今日の夕方発の便で発つわ。チケットを取って待っているけど、急な話だから無理にとは言わないわ。』


「行きます。あなたとは話さなければならないことがたくさんあるみたいだ。・・・芳美さん。」






かつて西海岸にいたはずの兄が、東海岸まで逃げていた事実を、俺はこのときに知った。






新入社員の分際でそう簡単に仕事を休めるはずがない。
しかし今の俺には選択肢は一つしかない。優樹にくらべてみれば、仕事など大した価値も持たなかった。
俺は辞める覚悟で休暇の申請をした。意外にも上司は1週間だけ時間をくれた。散々文句は言われたけれど。
簡単に荷造りをして、家を出ようとした時、晶子に告げた。


「優樹が見つかった。今からアメリカに行ってくる。」


「朝からそわそわしてると思ったら・・・。そういうことだったの。ついに、見つかったのね・・・。」


「ああ・・・。」


俺たちの間に気まずい沈黙が流れた。俺は、今ひとりで生きているわけじゃない。果たさなければならない責任が日本にもあることを十分承知していた。


「大丈夫よ。私は大丈夫。ここで、ちゃんと詩音と待っているから。」


「ごめんな・・・。」


「パパー、おでかけなの?」


向こうの方で遊んでいると思っていた詩音がいつのまにこっちに来て俺の腕をつかんだ。
なんとも言えない気持ちがこみ上げてきて腕に抱き上げる。お日様のにおいのするその小さな体を、ぎゅっと抱きしめた。
俺がこの手で守らなければならないものを、ちゃんと胸に刻みつけておくために。


「ちょっとね、だいじなごようがあるんだよ。ぱぱがかえってくるまでいいこにしてるんだよ。」


「わかったー。しおんいつもいいこにしてるよ。いいこにしてるといいことがあるんでしょ?だったらいいこにしてたらパパがはやくかえってきてくれるんだもん!」


「うん、はやくかえってくるね。」


大切な詩音を守るためにも、俺は決着をつけないといけないんだ。




















夕刻、俺は日本を発った。以前優樹を探して歩いたときに一度向かった国。今度は確かに存在しているとわかっている。しかし俺には優樹の無事がその時以上に心配だった。


「まず、何から話したらいいのかしら。」


離陸してしばらくたってから、隣の席の芳美さんが話を切り出した。


「俺からはじめに聞いておきたいことがあります。やっぱり、あなたは優樹の居場所を知っていたんですね。」


「隠しても仕方がないから言うわ。そうよ、はじめからすべてを知っていたわ。」


優樹の足取りがつかめなくなってから、必死で探した。その時に彼女の元にも助けを求めたはずだ。


「知っていた・・・というよりも、もっとひどいかもしれないわね。私は優樹が失踪するのに手を貸したのよ。」


「なぜ・・・そんなことを?あなたは・・・。」


「優樹が、言い出したのよ。後藤の家から自分の存在を消し去りたいと。もちろんはじめはそんな馬鹿なことは断ったわ。大切な甥にそんなことをさせられるはずがないでしょう。でも、私はその理由を知ってしまった。」


理由・・・それは、言われなくてもわかりきっていることだ。優樹は、いなくなることで俺との関係を断ち切りたかったんだろう。


「・・・すいません・・・。俺のせいで、何もかも・・・。優樹一人にすべてを背負わせた。あなたにも迷惑をかけた。」


「優樹は気づいていないだろうけど、その話をしに来た時にね、ずっと左腕の内側をさすっていたのよ。よくみたらあの子の腕には無数の傷があった。あれは自分でやったんでしょう?すぐにわかったわ。
それを見て、あの子にはたとえ逃げることでも必要だと思ったの。いずれ時が、優樹の心を癒してくれることに期待した。」


「日本を出る前から優樹は決意していたんですね。」


ふいに、最後の夜のことを思い出した。あんな悲壮な決意を込めてこの腕に抱かれていたなんて、せつなすぎる。


「それからは、ちゃんとボストンのカレッジを卒業して就職したわ。私が援助したお金も律儀に毎月返してくれて。この間もそれが全額返し終えて、電話で話したところだったの。これからもちゃんと連絡をくれるように言ったところだったわ。ちゃんと、元気で生活してるとばかり思っていたのに・・・。」


芳美の顔が曇る。俺もあの忌まわしい動画を見て、優樹の身に起こったことの一部は把握していた。


「優樹は、いま無事なんですか?」


「どうしてそう思うの?あなたは、優樹の何を知っているの?」


「優樹は、俺のせいで、酷い目にあったらしい。それをある人物から知らされた。」


「・・・今朝ね、とある人物から電話があったのよ。ジェフ・ロペス。彼はそう名乗ったわ。優樹のルームメイトで、日本への緊急連絡先として私ことが言われていたからって。・・・優樹ね、入院したらしいの。」


嫌な予感がする。屈辱的な仕打ちを受けた末、入院。とにかく優樹が傷ついていることは間違えがない。


「命に別状はないらしいわ。だけれど、そのジェフという男が言ったわ。優樹が本当の意味で救われるには、過去の問題を解決しなければならないと。・・・だから、あなたを呼んだの。解決しなければならない問題というのは、あなたのことでしょう?浩樹。」













自分の中でも答えは出ていない。何年も前の夏に、置き去りにしてきた問題だ。
その答えを、俺たちは探さなければならない。
たとえ周りを取り巻く環境が、変わってしまっていても。






         







2005/9/8












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