<15>  side JEFF


ユウキの悲鳴と、すごい物音がした。体中が警鐘をならす。なにかとてつもなく嫌な予感がしてジェフは走り出した。
やはり一人で行かせるんじゃなかったと、軽く舌打ちをしながらアパートのタラップを上る。
鍵は開いていた。息を飲んでドアを開けると、まず掠めたのが錆びた匂い。本能が、それはとても危険な香りであると知らせた。

目に飛び込んできたのは、床に散らばった赤い斑点。
それと同じ色の赤黒い液体を流しながら横たわる人影と、それを支える東洋人の男だった。

「ユウキ!!おい、一体何があったんだ。」


「ユウキ・・・・ニイ・・ああ・・・・ユウ・・・」


俺の問いかけなどまるで耳に入らないように男はユウキの名前を呼び、ただうめくだけだ。
そして意味不明の日本語は俺には理解できないものばかりだった。


「おい!ユウキを放せ!」


男の腕の中でぐったりしているユウキは血の気のない真っ青な顔で、意識がないように見えた。
しかし男はユウキを話そうとはしない。ただただ強くユウキを抱きとめ、何かを日本語で語りかけている。
このままでは埒があかないと思い、救急を呼ぼうとした。


「この家に電話は?」


しかし男はこの問いかけにも答えない。まさかアメリカに住んでいて英語が話せないわけでもないだろう。どうやら気が動転して、何も耳に入らないらしい。あきらめて自分で探すとリビングに無造作に投げ出された電話の子機があった。
そこまで来て気づく。部屋の中が異常に荒れている。確かに何かがあった様子がわかった。
このような状況は生まれて初めてなので動揺するはずだが、あまりにも動転している男を目の前にして自分だけは冷静にならなくてはと妙な理性が働き、一切無駄のない動作で救急車を呼ぶ。
救急車はたぶん、数分のうちに到着したのだと思う。しかし俺にはその時間がとてつもなく長く感じた。
こういう時にどうしたらいいかわからず、それでもどうにか止血させたくてタオルで腕を縛る。それもユウキを放そう としない男の手を無理やりに引き剥がしながら、だ。
到着した救急隊員達はこの異様な状況の中でも実に冷静に作業をした。数人でユウキにまとわりつく男を剥がし、取り押さえる。そして簡単な止血の処置をしてから担架で救急車へと運んでいった。


「おい、お前はついてこないのか?」


ユウキを放し、放心状態で壁にもたれかかる男に尋ねた。しかし男は頭を抱えたきり反応がない。とにかくユウキを早く搬送しなければならない状況から、俺は男を置いて救急車に乗り込んだ。

昔から救急車での付き添いがたまらなく嫌いだ。なぜなら救急隊員がテキパキと人命を救おうとがんばっているのに、自分は何もできずにただ見守るだけ。無力さを思い知る。
今回も例によって、そんないたたまれなさを抱きながら、ユウキの無事を願った。

決して、彼を失いたくはなかった。
























搬送する病院は俺の知り合いの外科医がいる所を選んでもらった。偶然にも病院にいた我が友人、ブライアンの適切な処置により、ユウキは一命を取り留めた。しかし両腕や、その他体中のいたるところからかなりの量の出血があった。今は点滴を受けながら眠りについている。
俺とブライアンの付き合いは数年前にさかのぼる。大学院にまだ入ってすぐの頃、俺はボランティアと自分の修行を兼ねてカウンセリングルームのアシスタントをしていた。
直接クライエント(つまりカウンセリングを受けに来る患者)を受け持つことはなかったが、やってくるクライエントと面識を持つことがあった。本当はカウンセラーとクライエントがあまり深く関わるのはよくないのだけれど、俺はまだそこまでの立場ではなかったし、普通に意気投合すれば友人として接することもあった。
その頃特に仲良くなったのが、ハイスクールに通う一人の少年、フィルだ。
フィルは虐待されて育った子供だった。母親から酷い暴力を受けたり、無視されたりする幼少時代を過ごし、ろくにご飯も与えられないような生活を送っていた。
当たり前のように体は痩せ、内気な性格も災いして恰好のいじめの対象だった。環境は彼を追い詰め、摂食障害を患う。異変に気づいた学校の先生がカウンセリングルームを紹介し、来所 することになった。
はじめは誰に接するにもビクビクしていたフィルも、何度か通ううちに俺と親しく話すようになり、症状もよくなっていったはずだった。
しかしフィルはいなくなった。たった一瞬で、アパートメントの7階から飛び降りた。即死、だった。
フィルが亡くなる前、最後に電話で話したのは俺だ。明るくなり始めていた声はどこに忘れてきたのか、いつになく暗い声で俺にこう言ったんだ。


『やさしくしてくれる、先生やジェフのために、病気が治った風にしなきゃって思ってた。そう思ったら余計に食べれなくなって、自分がどんどんダメな人間に思えてきて、苦しいだ。だから、苦しむのはもうやめようと思って。』


『そうだよ、苦しむ必要なんかない。俺や教授のためでなく、フィルは自分のために治すんだから。もちろんフィルが治ってくれたら俺はうれしいけどさ。ダメな人間なんかじゃなく、俺の大切な友達だろ。』


『うん・・・ありがとう。』


俺は気づいてやれなかった。苦しむのをやめる、という意味が、生きることをやめるということに。
電話を切って数時間後、教授から訃報を聞いた俺は、あまりのショックに愕然とした。
フィルが運ばれた病院にいたのがブライアンだ。彼はあまりにも落ち込んでいる俺に見るに見かねてか、こう言った。


『自分の力が足りなかったからダメだったなんて思うな。カウンセラーは人の命を救える存在だなんて思い上がってはダメなんだ。クライエントは自分で治すのであって、カウンセラーが治すんじゃない。医者だって同じなんだ。どんなにやっても本人に治る意思がなければ治らない。手を尽くしても命を救えない患者はたくさんいるんだ。それでも、人の心を救う手伝いをしたいと、現実を冷静に受け止める自信があるのだと思うのなら、その道はお前が目指すべきものなんじゃないのか。』
俺が本気でカウンセリングを勉強しようと思った瞬間だった。




「彼はお前の所のクライエントか?」


ブライアンはそうやって話を切り出した。フィル以降も、うちのルームから出たけが人は彼に看てもらうことが多かったから、今回もその一人だと思われたのだろう。
俺は黙って首を振った。


「友人だ。一緒に暮らしてる。」


「恋人なのか?あの腕は相当癖になってる感じだがな。」


ブライアンは、俺の性癖を知っている人間の一人だ。


「ルームメイトだ。確かに、以前から自傷癖はあったけど・・・特にカウンセリングとかは受けてない。以前ほどやってないみたいだし。」


「なんで急にあんなことになったんだ。片方の腕はかなりざっくりいってたぞ。それにあの全身の傷も自分でやったやつだろうな。錯乱状態にでもなったのか?」


「わからない。俺が駆けつけたときにはもうぐったりしてて・・・。」


そう言うと、あの時のユウキの姿が目に浮かぶ。
流れる血・・・それはいつしか何年も前のあの事件を連想させた。
今まで冷静だったのに、急に体が震えだす。


「しっかりしろ。とにかく命は助かったんだ。お前が取り乱してどうする。何のために勉強してるんだ。こういう時に支えてやれないでどうする。」


確かにブライアンの言う通りだ。
俺が取り乱してもユウキは助からない。俺の中でユウキはとても大きな存在であることは間違えなく、だからこそなんとかしなくてはならないのは目に見えていた。でも・・・。


「アレから・・・何年かたって、まじめにカウンセリングの勉強もしたし、研究もしてきた。でもユウキは俺にとってとても近すぎる存在で、だからこそ俺が見るべきではないと思うんだ。専門的なことはまだ俺なんかができることではない。でも、それなら一人の友達という立場でなんとか彼の心の中の問題を解決してやたいと思うんだ。・・・それでも怖い。ユウキを失うことがこんなにも怖くなっているなんて、思いもしなかった。」


「お前はあの患者のことが好きなんじゃないのか。」


「それはわからない。大きな存在ではあるけど。それに、ユウキは日本にいたときからたったひとりのことをずっと想ってるんだ。たぶん、それが彼の心に大きな傷を落としていることも。」


以前ユウキが俺にしてくれた話を思い出した。ユウキは、きっとまだ同じ人間を愛しているんだと思う。
ではあの男は何だ?とりあえず一命を取り留めたところで、部屋に残してきた男の存在が気になり始めた。
俺は立ち上がると、「カズト」という男に会いに行くことを決めた。


「ユウキは、しばらく眠っているんだよな?」


「ああ、鎮静剤も打ってあるから、しばらくは。」


「ちょっと行って来る。会いたい人物がいるんだ。ユウキが目を覚ましたら俺のことを呼んでくれ。まあ、それまでに帰るつもりではいるけど。」


「わかった。・・・あまり無茶はするなよ。」


ブライアンはいつでも温かい。口調は厳しいが、幾度となくそのさりげないやさしさに助けられてきた。こんなにも温かいひとも世の中にいるのに、どうして人は憎みあったり傷ついたりするのだろう。そう思うとやるせなかった。俺は、周りの人間には随分恵まれてきたもんだと、改めて感じた。













出てきたときと同じ体勢で、男はうずくまっていた。


「ユウキは助かった。どうしてあんなことになったのか話して欲しい。」


俺が声をかけて初めて俺の存在に気づいたのか、顔を上げた。その瞳は相当に潤んでいて、彼が涙を流して打ちひしがれていた様子がわかった。


「・・・・・・。」


しかし男は何を話していいかわからない様子で、黙りこくったまま。イラついた俺は質問を変えた。


「アンタの名前は?カズト、とユウキが以前言っていたが、間違えではないな?」


俺の問いに、男は黙ってうなずいた。


「ユウキの傷は、アンタがやったのか?」


男は慌てて首を振った。


「違う・・・あれは、彼がが自分でナイフを持って・・・。俺は止めようとしたんだ。」


そういわれてから、彼の体にも薄い切り傷があることに気づく。


「ではなぜ、ユウキは自ら自分を切るようなマネをしたんだ?その前に、ここで何があった?」


「・・・・・・。」


「言えないのか?アンタは、ユウキに何をしていたんだ。・・・そもそもどういう関係なんだ?」


長い沈黙が続いた。その後、男は意を決したように話しはじめた。


「彼は・・・ユウキ兄ちゃんは・・・俺の親友だった男の、兄貴なんだ。」




そうやって切り出された話は、俺の想像を絶するものだった。
ユウキが日本からここへやってくるまでのすべての経緯と、ユウキがいなくなってからの弟、「ヒロキ」のこと。そしてカズトと再会したユウキがどんな酷い目にあっていたのかも。

あまりの腹立たしさに俺は和人を一発殴った。その何倍もの痛みを、ユウキが背負っていたのかと思うと切なかった。


「もう二度とユウキの前に顔を見せるな。」


そういい残して俺は血の匂いの残るアパートを後にした。


そして、ユウキの問題を根本から解決すべく、ただ一人、ユウキから連絡先を知らされていた日本人へと電話をかけた。








何としてでも、本当の意味で彼を救いたい。
自分の気持ちは、ユウキを救うためなら今は考えている場合ではないと、わかっていた。






         







2005/11/11












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