<16>


そこはとても暗くて、冷たくて、何もない場所だった。
けれど僕はずっとここにいたいと願う。
ここにいれば、誰も傷つけず、そしてこんなに汚れた自分を見られることはない。
今の僕には他人からの視線がなによりもの脅威。







お願いだから、ずっとここにいさせて。
もう誰も、僕を連れださないで。







お願いします。


お願いします。
























手をふんわりと握る、温もりを感じた。
やっと見つけた、安らげる場所から僕を引き上げるように。こっちへおいで、と言っている。
僕はまだここに居たいと願っているのに、無理矢理僕を覚醒させようとする手。
僕は観念して、目を開けた。

はじめ、もやがかかったかのように見えた視界の中、じきに焦点が合ってその存在が誰かわかった。
僕を呼んでいたのは、きみ、だったんだね。


「よかった・・・。」


そう安堵した声で、彼はつぶやいた。


「少し前まで、ちょっと外出していたんだけど、ユウキが目を覚ます前に帰ってこれて。」


優しい声で僕の目覚めを喜んでくれる彼の、けれど視線が怖くて思わず強張ってしまった。


「・・・ここは?」


病院であることはわかった。しかし起きたばかりの頭は混乱していて一瞬なぜ自分がここにいるのかわからなかった。


「また、自分でやっただろう?」


さっくりと、腕を切るようなジェスチャーをしてジェフは笑った。
そう言われて、あの時の情景がよみがえる。ああ、あの時の自分は何もかもを壊してしまいたくてしかたがなかったのだと。
ジェフがそばに居てくれている。それでも僕は還りたかった。
僕の意思をくみとったかのように、世界が歪み始める。


だって僕はここには居たくないし、居てはいけないんだ。
混沌とした意識の中に居れば、独りで居られるから。
周りの世界を意識的に遮断して、何も感じない場所に・・・。





「ユウキ!」


再び引き戻された。
僕はなぜジェフが僕を呼ぶのか不思議に思って、小首を傾げて見上げた。


「急に反応がなくなるからどうしたのかと思った・・・。気分がまだすぐれないのかな?目が覚めたばかりだから仕方がないのかもしれないけど。・・・ドクターを呼ぼう。」


そう言ってジェフはこの場を離れようとした。
その時、僕はとてつもない違和感を感じた。
ジェフが去ったことにたまらなく安堵する自分を発見したのだ。
何だか自分がわからない。ふとした瞬間に意識が浮遊する。ただ起きたばかりでぼんやりしているのかもしれないが。


「ごめん。また、迷惑かけた。」


「馬鹿、謝るな。本当に大事にならなくてよかったんだからな。」


ジェフの優しい手が僕の髪を撫でる。


「カズト君・・・は?僕、彼を傷つけた。」


「何言ってるんだ。傷つけられたのはユウキだろう?ヤツのはちょっとしたかすり傷だ。それより、体調はどうだ?」


ジェフが僕のことをとても気遣ってくれる。しかし僕には今和人君がどうしているのかがとても気になった。僕が負わせた怪我のこともそうだが、それ以上にあそこまで追い詰められた様子の彼がとても心配だった。


「大丈夫なんかじゃない。彼のことを昔からよく知ってる僕が言うんだ。体につけた傷は大したことないのかもしれないけど、僕が彼の心を追い詰めたのは確かなんだ。放っておけないよ。」


「人のことばかり心配するな。今は自分のことを心配しろ!ユウキはどれだけ自分を傷つけたんだと思ってるんだ。こんなきれいな肌にざくざくとよく刃を向けたな。それ以上にどんな大変な目にあって来たか・・・全部、事情は聞いた。」


その一言を聞いて僕は大きく目を見開いた。


「全部?・・・誰・・・カズト君が?・・・一体どこまで話したんだ?」


声が、震えた。
僕と浩樹のことはジェフに話してきていたが、それ以降のことも彼の耳に入ったというのか?
僕のせいで数々の人を傷つけてきたことも、自らの罪のためにいかがわしい男たちに体を差し出していたことも。


「ユウキがカズトに再会してからたくさんの屈辱的な行為を強いられてきたことも、それをあろうことか弟に吐露されたことも全て聞かせてもらった。」


ジェフの言った弟というキーワードに体が深く反応した。
そうだ、僕のあの痴態ははるか向こうの浩樹まで伝えられてしまったんだ。
状況を改めて認識して体が震えだす。
何とか鎮めようと自らの両手をしっかりつかんで静寂を待つが、一向に収まらない。僕の異変に気づいたジェフが肩を支えようとした。


さっきまで感じていた、歪んだ世界が再び見えた。


僕は全身の力を込めてジェフの腕を跳ね除ける。


「やめて!僕に触らないで!!」


体中に包帯の巻かれた僕の体。とても罪深くて、とても汚い。


大切な人たちに、こんな姿を見せたくなかった。
一度歪み始めた世界は僕の中にどんどん新しい妄想を生む。
ジェフだってこうして優しくしていてくれているけど、本当はうざったく思っているのかもしれない。
数々の禁忌をおかして、たくさんの人間に体を汚されてきた自分を疎ましく思っているかもしれない。
いや、汚されたなんて傲慢だ。あの、やらしい男たちに抱かれたから汚いんじゃなくて、最初から汚いんだ。
いくら薬を盛られたからとはいえ、あんなに感じていたじゃないか。意思の力とは関係なく、触られれば感じるし、最奥を貫かれれば嬌声を上げることができる。
実の弟にまで欲情してしまう、淫らな存在。


「ユウキ?どうしたんだ?・・・もしかして触られるのが、怖いのか?」


「お願いだから・・・ここから出ていって!ぼくを・・・見ないで。」


ジェフの視線でさえも、怖かった。その綺麗な瞳に、僕という存在を映すことが怖いのだ。


「ユウキ、落ち着いて。俺は大丈夫だから。」


優しいはずのジェフの声が遠い。頭の中がスパークする。混乱が頂点に達した時、部屋のドアがノックされた。


開いたドアから、白衣を着た見知らぬ男が見えた。
男は入ってすぐに部屋の中の緊迫した雰囲気に気づいたみたいだ。しかし彼はそんなことも無視してマイペースに自分の仕事を開始した。


「お目覚めかい?ミスターゴトウ。俺はアンタの担当のブライアンだ。ま、担当と言っても俺が診るのは外傷だけだがな。」


急な登場に僕は言葉を返すことができなかった。見知らぬ人間がやってきたことに、若干の恐怖を覚えながら。


「まずちょっと傷の状態をちょっくらチェックさせてもらうぜ。」


僕の無反応などまったく気にしない様子で、ベッドサイドに伸びる手を取った。
さっきから続く震えは、まだ収まっていない。おそらくはこのブライアンという医者にも伝わっているのだろう。
腕に巻かれた包帯を取り除くと、自分でも呆れるほどの傷が付けられていた。


「うむ。深くやったわりには経過は良さそうだな。まぁ痕は残るだろうが、ちゃんと薬を飲んで安静にしていれば塞がる傷だ。それと、これ以上傷を増やさないことだな。俺は傷を診てやることしかできないが、もし心に不安を抱えているようだったらそっちのドクターを紹介してやってもいい。むしろ俺としてはきちんと診てもらうことを推奨するが、アンタの意思に任せるよ。必要ないと思うならそうなんだろう。一応傷の薬と、軽い安定剤を出しておくから、しばらく経過を見ることだな。」


傷の手当をし、包帯を巻きながらブライアンはすらすらと話した。
どうやら僕のリアクションが得られなくてもいらしい。医者としては完璧な仕事の仕方だ。
しかし包帯が巻き終わると顔つきが変わった。


「あと一つ、俺はジェフの友人としてでもあるんだが、あんまりヤツに心配をかけるなとだけ言っておくよ。こいつはアンタにぞっこんなんだ。」


「おい、ブライアン!俺がいつそんなこと言った?」


ジェフが慌てて訂正する。


「おや?違うのか?てっきりそういうことだと思ったんだが。」


からかうように笑う。
その話しを聞いて僕は慌てて訂正した。


「違います。ジェフは、ただのルームメイトで、優しいから面倒を見てくれているだけで・・・」


そういい終わらないうちにブライアンが言葉を挟んだ。


「アンタとは初対面だが、これだけは言わせてもらう。自分ばかり可愛がってないで、もっと他の人の気持ちを考えるんだな。あんたのやってることは独りよがりだ。ジェフの、あんたの友人の気持ちをもっと大切にしろ。」


鋭い目つきだった。
結局僕が彼に向けて発した言葉はこれだけで。
嵐のようにブライアンが病室を去っていったころには、いつの間にか僕の震えは収まっていた。


「悪いな。マイペースな医者で。アイツはああいう男なんだ。まぁ腕は確かだから我慢してくれ。」








確かに僕の行為はすべて独りよがりかもしれない。
自分を傷つける行為も、結局自分にしか還ってこないから。
もちろんやめた方がいいことはわかってる。それがジェフを心配させていることも。
けれどもやはり自分の弱さが、それを止めることができない。
今もブライアンの言葉で少し平静を取り戻しつつあるが、その一方で先ほどまでいた暗い歪んだ世界がすぐそばまで来ている。
久しぶりに聞いた浩樹の声も、頭に残っている。
どうしても、浩樹だけには僕の存在を再び晒したくはなかったのだ。
浩樹のことを考えると、少しだけ気持ちが深淵に引きずり込まれるような感触がする。





助けて


助けて


しかし、そう言いながらも自分は何から助かりたいのかすらわからない。
それさえもわからなくてぎゅっと目をつぶった。
目蓋に映ったのは、なぜか最後に空港でキスを交わした時の、浩樹の顔だった。
いつまでも僕の中に残る、あの残像。












その夜、僕は理性と狂気の狭間で、一夜を明かした。






         







2006/1/16












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