雨はどんどん強くなるばかりで、うっそうと茂る森を闇夜は覆いつくそうとしていた。
気持ちは焦るばかりだ。
またしても逃げられてしまうなんて耐えられない。
それに、本当に心配だ。
病院で聞いた話だと夕方の17時すぎに優樹は病院を飛び出したらしい。
優樹の付き添いの男が慌てて後を追い、1時間程辺りを探したが見つけることはできなかった。
とりあえず俺と芳美さんの到着する時間だったので一度病院に引き返し、そのことを知った俺たちは今こうして手分けして探し始めている。
付き添いの男・・・ジェフと言ったか、の話しによると優樹の状態はかなり悪いらしい。
彼の話によると詳しい原因はわからないが、とにかく優樹は自分で自分の体中を傷つけたために入院したという。
傷自体は命に関わるほどのものではないが、とにかく体力が衰弱しているので、この雨の中歩き続けられるとは思えない。
それに、精神状態もかなり不安定だったので、その点でも不安がある。
どこに行っちまったんだ・・・?
するとその時、道端に病院のつっかけのようなものが転がっているのが見えた。
なぜか予感がして、歩みを速める。
しばらく森を進んだ先の街路樹の根元に蹲った人影が見える。
真っ白いパジャマのようなものを身にまとい、全身をしとどに濡らしていた。
その姿はあまりにも儚すぎて、今すぐにでも消えてしまいそうだ。
そこに存在しているのが信じられないくらい、ちっぽけな姿。
体がカッと熱くなるのを感じた。
自分の中で色んな感情がわき上がる。
怒り、悲しみ、喜び、・・・そんなモンじゃない。名前の付けられない感情が体中を渦巻いているのを感じた。
蹲っていた人物がおもむろに顔を上げる。
ヒドイ顔だと思った。
雨に濡れた髪ははりつき、今まで見たことないくらいに頬はこけ、青白い。
それでもやっぱり今まで出会ったどの人物よりも美しいと感じてしまった。
もう・・・無条件で、好きという感情しか存在しないのだ。
優樹は俺の姿を目に留めた途端、信じられないといった顔で目を丸くした。
「ばっかやろう!」
無意識に叫んでいた。
そして持っていたサンダルを手放すと、そのちっぽけな体を抱き寄せた。
体はすっかりと、冷え切っていた。
抱きしめると、一瞬体は硬くなったが、すぐに気の抜けたかのように弛緩した。
もう、逃がさない。優樹を失ってしまうことが一番つらいと知ってしまった今では、二度と離すつもりはなかった。
「いつまで俺から逃げれば気が済むんだ?」
ついきつい口調で問い詰めてしまった。
しかしそれくらいに、どんなに追いかけてもするりと手から逃げ出してしまう優樹がもどかしくもあった。
「ごめん・・。ごめんね。」
喉の奥から出た掠れた様な声で、優樹は言葉を発した。
「一体何に対して謝ってるのか、わかってんのか?」
「わからないけど・・・すべてに・・・かな?」
わからなくてもとりあえず謝罪の言葉を口にするのが可笑しくて、溜息をついた。
それと同時にどうしようもない愛おしさが募ってきて、抱きしめる手の力を強める。
「もう、どこにも行くな。ずっとずっと、一緒にいてくれ。」
この時の俺には、自分を取り巻く今現在の環境のことなど、何も頭になかった。
この腕の中の存在だけが全てで、湧き上がる激情を何ていう言葉で伝えればいいかまったくわからなかった。
ただ、今の俺の純粋な、本当の気持ちを思い切り伝えたかったんだ。
「もう一度、俺にお前の隣をくれよ。もちろん、弟としてでなく、一生傍に置くパートナーとして。」
この場限りの嘘をつくつもりはなかった。
本気で、ずっと優樹を傍に置きたかった。
いつも苦しませてばかりいた代わりに、俺の隣で笑っていて欲しかった。
俺の真摯な告白を受け止めた優樹は、今まで見たどの笑顔よりも幸せそうな表情を浮かべた。
「うん。ずっと、一緒にいて。離さないで。」
愛しくてたまらないとはこのことを言うんだろうか。
「ばか。離れて行くのはお前の方だろ。俺は捕まえておくのに一苦労だ。・・・でも、もう離さない。」
抱きしめる腕の力を一段と強める。
そして、どちらからともなく唇を合わせた。
優樹の咥内は信じられないくらいに熱くて、でも最高に気持ちいいキスだった。
降りしきる雨の中、何も考えずにただ、お互いの唇を味わった。
ふいに、唇を求める力が弱まった。
気づくと優樹は俺の腕の中でぐったりとしていた。
体がすごく熱い。優樹の体調がかなり思わしくないことを思い出し、早くなんとかしようという想いからその体を抱き上げた。
予想をはるかに超える軽さだった。
この小さな体にどれほどの苦労を背負い込んだのか、想像することができた。
「走るから、しっかり捕まって。」
そう言うと、優樹はコクリと頷いて僕の首に腕を回した。
優樹を運んで病院に戻る間、今までのことを思い出していた。
子供の頃、優樹のことを意識しだした頃、何度も抱き合ったこと。
それから、優樹が姿を消す前の一ヶ月のこと。
本当に苦しめてばかりだ。
でも俺だってずっと苦しかったんだ。
どうすれば優樹を苦しめずに済むかずっと考えて。
それから、いなくなってしまった優樹を探して。
失ったものの大きさに耐えられず、結局は逃げて。
ただ、優樹が好きなだけなのにな。
病院に戻ると入り口にあの同居人と芳美さんが待ち構えていた。
「ユウキ!」「優樹!」
「一体どこまで!?」
「そんなことより早くドクターに見せたほうがいい。だいぶ熱が高いみたいだ。」
「ああ、そうだな。」
優樹を病室まで運び、ベッドに横たえた。
「優樹・・・こんなに小さかったかしら・・・。」
「俺も見つけた時正直驚いた。・・・くそっ!こんなことになるなんて。」
「君が焦ってもしょうがないだろう。それにしても、ユウキが背負っていたものを知っていたのに、迂闊に君が来ることをしゃべってしまったことに責任を感じるよ。」
彼は、そう言って深い溜息をついた。
「あなたは、知っているんですか?俺と優樹のことを。」
「・・・まぁ、そこまで詳しいわけじゃないがね。」
「そうですか・・・。」
俺たち三人はぐったりしている優樹を前に無言になった。
それぞれ思うところがあるのだろう。
すると、沈黙を破るように医師たちが病室に入ってきた。
「彼の家族かい?」
「ああ、弟だ。」
「ちょっと具合を見るから、病室の外で待っていて欲しい。」
「ブライアン!大丈夫なんだろうな?」
「まぁ、だいぶ弱っているが大丈夫だろう。それより開いた傷を見ないと。縫ったところも切れてるみたいだからな。」
「わかった、優樹を、兄を、よろしくお願いします。」
俺は医師に頭を下げて立ち去ろうとした。
しかし進もうとする足を何かが阻んだ。
よく見ると、ベッドの上の優樹が俺のシャツの裾をつかんでいたのだ。
「優樹・・・。大丈夫、すぐに戻ってくるから。」
そう言って優樹の手をそっと外すと、後ろ髪を引かれる思いで病室を後にした。
それから、俺たち三人はロビーで待機していた。
すっかり夜も更け、ロビーもしんと静まり返っていた。
気まずい沈黙が降りる。
「遅れたが、自己紹介。俺はジェフ・ロペス。大学院生で、優樹とルームシェアしてる。」
初めに口を開いたのは同居人だった。続けて俺たちも自己紹介をする。
「後藤芳美です。叔母にあたります。」
「後藤浩樹です。・・優樹の弟だ。」
「元恋人・・・でもあるんだろ?」
急に向けられた辛辣なセリフに動揺した。
「恋人・・・だったとは思っていない。俺たちはそんな甘い関係じゃなかった。」
「俺はこっちにきてからもずっと苦しんでいたユウキを見てきた。本当に、彼のことが大切なんだ。幸せになってもらいたい。
普通の相手だったら喜んで応援するんだが・・・問題が山積みすぎて君の存在を手放しに喜べないな。
・・・彼は・・・ユウキの心を苛んでいる元凶は、おそらく罪の意識なんじゃないかと思うんだ。
「罪の・・・意識?」
「君を愛する気持ちを止められないくせに、その感情自体が罪だと思っている。罪には罰が必要だろう?だから自らを傷つけるんだ。自分を否定することで、君を肯定しているんじゃないだろうか。」
そうだった。いつだって優樹は自分がすべて悪いと、そう何もかも背負ってきた。
確かに俺たちの関係は許されるべきものじゃないかもしれない。
異常なことだって十分分かってる。
それでも一緒に居たいし、優樹が心に負う傷を、すべて受け止めてやりたい。
優樹だけが悪いわけじゃないんだ。
「優樹を日本に連れて帰る。これからは一緒に暮らす。」
どんなに無茶苦茶なことを言っているかは十分承知だ。
しかし俺の意思は固い。
こんな訳の分からない異国の土地で、優樹を一人にしておくことなんてできない。
周りがなんと言おうと俺は優樹の傍に居たいんだ。
「・・・晶子さんと、詩音はどうするの?」
芳美さんのセリフが俺を現実に引き戻しかけた。
「優樹のためだったら、俺はどんなに酷い男にもなるつもりだ。」
「そんなに簡単に家族を捨てられるハズがないでしょう?」
「優樹は、俺たち家族を捨ててアメリカに一人で居たんだ。俺ができないわけがない。」
「状況がまったく違うでしょう!?あなたには責任があるのよ。家族を守るのはあなたしかいないんだから。」
「俺を、幸せにできるのは優樹だけなんだ。その逆もそうだ・・・なんていうのは自惚れかもしれないけどさ。」
「優樹はきっと自分を責めるわ。あなたから家族を奪ったりなんかしたら・・・。」
「優樹は、俺が守る。誰にも邪魔させない。」
日本語で会話し始めた俺たちの会話を、ジェフはたぶん理解していないだろう。
だから俺は英語で言った。
「優樹を日本に連れて帰る。俺は・・・今は妻と子供がいるけど、それよりも優樹と共にいることを選ぶ。」
彼は目を丸くして驚いていたが、最後にこう言った。
「ユウキがその道を選ぶなら、俺は反対はしない。ただ、絶対に幸せにすると約束してくれ。」
「もちろんだ。一生、大事にする。」
この時、俺の中で止まっていた時間が、再び動き始めた。
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