<20>







「ユウキがそう決めたのなら俺は何も言わない。君が幸せでいればそれで良い。」


そう言ってジェフは僕の髪を撫でる。温かい大きな手のひらで、優しく。
いつも否定ばかりしてきた僕だけど、いつも僕のことを肯定してくれた。 本当に、大切なひと。
そうやって、いつものようににイイコイイコされている僕を、浩樹はすごい形相で見ているのだけど。
僕はこうしてジェフに甘えることをとても心地よく思っている。
不思議な存在だ。
飛行機の搭乗アナウンスが流れ、とうとう僕たち三人はゲートに急がなくてはならなかった。
「本当に、たくさん迷惑かけてごめん。もう、謝りきれないくらいだよ。」


「悪いと思ってるならいつでも戻ってきていいんだからな。待ってる」


「悪いけど、それはないな。」


すかさず浩樹が口を挟む。ジェフだってこの言い方は冗談に違いないのに。これはいつもジョークを言うときの目だ。


「おっと、けん制されちまったか。それはそうと、遊びには来いよ。俺も今度日本にぜーったい行ってやるからな。」


「うん。いつでもおいで。待ってるから。」


「ユウキ・・・チョーアイシテルからなっ!」


そう言ってガバッと抱きつく彼がおかしくて思わず噴出した。


「チョーアイシテルなんて日本語どこで覚えたの?僕そんな変な日本語教えたつもりないんだけど。」


「優樹、そろそろ・・・。」


時間が来た。未来もまったく分からない、旅に出るときが。


「ジェフ、本当に有難うな。」


僕は足元に置いていた旅行カバンを掴み、ジェフに最後のお別れを告げた。
すると、僕の耳元にジェフの顔が近づき、ぼそっと何か言った。


「ほんとに、結構本気で好きだったんだぜ、お前のこと。」


その1秒後、不意にキスされた。
もちろんマウス to マウスで。


「てめっ!何しやがる!」


浩樹の慌てた声。


「挨拶挨拶、コレ、アメリカ式のお別れネ」


「んな訳あるかっ!行くぞ、優樹!」


完璧に浩樹をからかってるジェフがおかしくて仕方がなかった。


「じゃあね!バイバイ」


可笑しくて、ちょっと不安が減った気がする。
そんなジェフのことが、本当に大好きだ。




搭乗してからも、浩樹がぶつぶつと言っていた。


「ちくしょー。俺の目の前でいちゃいちゃして。」


「あんまあり気にするなよ。ジェフはもともとスキンシップが並みのアメリカ人以上に過多だし、特にさっきのは浩樹をからかって楽しんでるだけだと思うよ。」


「あいつの肩もつのかよー」


「あんたたち痴話喧嘩なら公共の場でするのはやめなさいよ。」


呆れた顔で芳美さんが口を挟む。


「ほら、黙れよ浩樹。」


「ブー。」


「それにしても、あのジェフって子。なかなかイケメンね。」


「芳美さんっ?」


「日本に来たら絶対に私に会わせるのよ?」


「はぁ・・・。」


いろいろありすぎて、芳美さんがこういうキャラだと失念していた・・・ことに今気づいた僕だった。











長い空の旅の途中、窓際だった僕は外ばかり見ていた。
まさかこうして浩樹と一緒に日本に帰ってくるとは思っていなかった。
僕の左手はひざ掛けの下で、浩樹にからめとられている。
初めて浩樹の手を意識して握った時のように緊張していた。
指先からじんわりと伝う温もりが、今の僕に大きな安堵感をもたらしていた。
言葉に出すとちょっと違うかもしれないけど、多分とても幸せな気分だ。
しかしそれが全てではない。
右側の手首にしているシルバーのブレス、日本を去るときに浩樹からもらったお守りがやけに重く感じた。




あれから、和人君には一度だけ会った。

病院を出た時、彼はちょうど僕に会いにきたところだった。
ほんとは、一瞬彼の姿を見た途端足が竦んだんだ。
でも何かを考える前に浩樹が和人君に飛び掛った。


「和人!てめっ!どのツラ下げてこんなトコ来てるんだ。」


「浩樹?お前こそなんでこんな所に・・・。」


胸倉を掴まれながらも和人君は驚いた様子で言った。


「優樹が心配で来たんだ。悪いか?」


「イヤ、悪くはないけど・・・。」


「優樹は俺が日本に連れて帰る。もう二度と優樹の前に顔を出すんじゃねぇ。」


「俺からもユウキにはもう関わるなと言ったはずだが。」


呆れたようにジェフが言う。


「最後に・・・どうしても優樹兄ちゃんに渡したいものがあって・・・。」


「いいよ、浩樹、ジェフ。話を聞くから。・・・こないだは・・・ごめん。傷、大丈夫?」


「謝るなよ!悪いのはそいつなんだから!」


「ひろは黙ってて!で、何の用かな?」


暗い表情の和人君が、かばんから何かを取りだす。
それはこないだまでずっと僕の腕にいた、シルバーのブレスだった。


「これを、返そうと思って。」


「あ・・・りがとう。」


まさか戻ってくるとは思ってなかった。


「優樹、それって・・・。」


「うん。浩樹にもらったやつ。」


「まだ持っててくれたんだ。」


「まぁね。でも、こないだ和人君に投げつけちゃったけど。」


どこに行ってしまったのかと思っていたけれど、和人君に返してもらってやっと、あの時投げつけたことを思い出した。
これからはずっと浩樹が傍にいてくれるから、これで自分自身を守らなくて済むかもしれないけれど。
浩樹が初めてくれた、かたちのあるものだから手元に戻ってきてうれしかった。
そんなものすら投げつけてしまったなんて、あの時の僕は動揺しまくっていたと改めて実感する。


「優樹兄ちゃん。本当に申し訳なかった。」


そういって和人君は深々と頭を下げた。


「あの時はどうかしてたなんて、言い訳はしない。逆恨みもいいところで関係のないあなたを巻き込んでしまった。
俺は浩樹の一番の親友だったんだ。コイツがどんなにいい男だってことは一番知ってる。
晶子が俺から離れていったのは俺が不甲斐ないせいで、裏切られたなんてのは勘違いだ。
ホントは、わかってたんだ。
ちょうどお前らが付き合いだしたころ、俺にはアメリカ留学の話が出てて、
多分アイツは俺を待つことができなかったんだと思う。
だから浩樹を選んだ。アイツを繋ぎとめておけなかったのは、俺がそこまでの男じゃなかったってだけなんだ。
だけど俺は勝手に恨んで、優樹兄ちゃんまで傷つけて…。ほんとにゴメンな。」


和人君の肩は震えてた。
憎しみで何も見えなくなっていたかもしれないけど、
彼は浩樹のことを本当に大切に思ってて、晶子ちゃんを真剣に愛してたんだ。
人を愛する気持ちなら僕だって…わかる。
それが痛みを伴うことだということも。


「和人君、今度は僕が謝らないといけないかもしれない。
僕は…浩樹と一緒に日本に帰るから…もしかしたら…。」


――――和人君が愛する女性を、傷つけることになるかもしれない。


その言葉がどうしても口から出せずに沈黙した。
卑怯だけど、自分がこれから犯そうとしている罪を言うことができない。
そうして黙っていると、浩樹が横から口をだした。


「俺は晶子を、捨てることになるかもしれない。いや、事実優樹と生きていくのはそういうことだ。」


「そう…か。そんな気もしていたよ。俺は、お前がどんなに優樹兄ちゃんを大切に思っているか知ってるからな。」


「勝手かもしないが、お前、晶子のもとに戻る気は…。」


恐る恐る尋ねた浩樹に、和人君は怒りをあらわにした。


「あるわけないだろ?俺はいろいろ罪を犯しすぎた。今更何もない顔をしてアイツと生活できるはずない。
そりゃ、今でも愛していなくはないけれど…。
愛しているからこそアイツとはもうだめなんだってわかるよ。
それに、やっぱり俺はお前とアイツの子供を愛せないと思うし。
そんなことより、お前勝手すぎるだろ?
晶子を捨てて、俺が元に戻ればいいとでも思ったのか?
そんなムシのいい話するなよ。」


「悪い…。まったく、自分勝手な自分に腹がたつな。」


「ただ、アイツは強い女のように見えて、ホントは繊細で脆いところもある。
俺が支えてやれればいいけど、それはできないから。
なるべく傷つけないでやってくれ。それだけが俺の願いだ。
もう、こんな悲劇の連鎖はここで断ち切らないと…ダメだから…。」


悲劇の連鎖。
思えばいつから始まったんだろう?
多分僕が浩樹への思慕を自覚したときからそれは始まっていたんだ。
本当にもう終わりにしたい。


誰かが幸せになるということは誰かを不幸にすることだと、僕は実感した。
僕は幸せになったら、一体何人の人が不幸になるのだろう?
そう考えるとズキズキと胸が痛む。


「じゃあ、優樹兄ちゃんも、浩樹も、ずっと元気で。」


「君はこれからどうするの?」


「もうバスケはできないけど、大学は結構楽しいんだ。一応夢もできたし、地道に一人で生きてくよ。」


「和人…ゴメンな。俺がお前の人生狂わせた。」


「もう謝るなよ。そういうとこ、優樹兄ちゃんと似てるんだよなぁ。
お前が狂わせてくれた俺の人生、いいように生きるさ。何がベストかなんて死ぬまでわかんないんだからな。
案外、これでよかったのかもしれない。


そう言って彼はふっと柔らかい笑みを浮かべた。


いろいろあったけど、一人で強く生きていこうとしている和人君を見て、僕もいくらか励まされた気がする。
僕だって、浩樹に頼ってばかりでいられない。


日本で起こる全てのことに、今度は逃げずに立ち向かわなくてはならないと、決意を固めた。


この時は、本気でそう、思ったんだ。











         







2006/8/27












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