5.姉弟の夜

結婚が決まってからはものすごく早く時間が流れた。

結婚までに一応隆平さんの両親にも結婚報告をして、それから部屋を決めて。
式はあげずにちょっとしたパーティみたいなのを隆平さんのカフェで挙げることになった。

僕が隆平さんを好きだと気づいたあの日から、3ヵ月後の大安。
それが隆平さんと家族になる日と決まった。

もう明日に迫っている。
あのころはまだ夏の暑さが残る日だったのに、12月ともなると体の心から冷える日が続く。
今ぼくは学校から帰る途中だ。

ダッフルコートのポケットに手を突っ込んで最寄の駅から家までの道を急いでいた。
家に帰ったらやることがいっぱいある。

明日の結婚式が終わったらその次の日にはもう引っ越さなければならない。
新しい新居は学校からは少し遠くなるけれど隆平さんの店に少し近い。
一度下見に連れて行かされたけど結構いい家だった。
部屋数も多いし日当たりも良好。何しろ駅から近かった。
歩いてすぐのところには駒沢公園があって最高の環境。

引越しまでにいろいろとものを整理しなくてはいけない。
明日は結婚パーティーでそんなヒマはないだろうから今日中に済ましてしまおう。

この3ヶ月間、ぼくは必死に平静を装った。
今までと変わらず二人と接し、今までと変わらず日常生活を送ってきた。
少なくとも表向きは。

しかし不眠気味なのは相変わらず続いていた。
眠ってもあの夢をみてしまうから。
少しは落ち着いては来ていたけれど週に1、2回は一睡もできずに過ごす夜があった。
それでも変に思われちゃいけないと思って学校にはちゃんと行っていた。
結構しんどい。
今日も例によって少し体調が悪かった。
昨晩は5時ぐらいには眠りにつくことができて学校遅刻ギリギリの8時まで3時間は眠れていたから良いほうだった。
結局授業中は眠りっぱなしだったけど。

もう少しでマンションのエントランスと言う所で姉さんとばったり会った。

「あら、学校終わるの早かったじゃない。お帰りなさい。」

「ただいま。引越しの準備今日中に済ませておきたいと思って。」

「そっか。私もいろいろ片付けなくちゃな。」

「姉さんはドコ行ってたの?」

「今日は淳と二人でこの家で食べる最後の夕食になると思って、ごちそうの買出し。」

「へぇ…何買ってきたの?当然姉さんが作ってくれるんでしょ?」

「鳥鍋にしようと思って鶏肉とかいろいろ。おいしい鳥団子の作り方隆平に教わったんだー。」

「おいしそうじゃん。おなかすかせて待ってるよ。」

「少しは手伝いなさいよね。」

「はいはい。」

明日結婚が無事に終わって隆平さんが僕の義兄さんになったらどんな気持ちになるだろう。
今夜は姉さんが独身最後の夜であると同時に隆平さんにとってもそうなのだ。
つまり、法律上はまだ誰のものになっていないんだ。

「今日隆平さんは何してるの?」

「結婚したらしばらくおちつくまで店のことが少しおろそかになるって心配して今日はお店に行ってるの。何もこんな日にまで仕事しなくてもねぇ。ま、今日は淳と二人で過ごせるからいいの!」

「なんだよ…気持ちわるいな。」

「私がこんなこと言うのは柄にもないって?」

「今までそういう扱い受けてきたんですけど。」

「まったくホントかわいくなくなったよね。昔は淳くんもっとかわいかったのにな〜。」

「悪かったな。生意気なガキになっちゃって」

「ほんと生意気。今時の高校生ってみんなこうなのかしらね?」

繰り返されるたわいのない会話。ぼくたちがずっとしてきた会話はこんな感じだった。
憎まれ口はたたくけれどぼくはきっとこんな姉が好きなんだと思う。

ふいに姉の目が真剣になってこっちを見た。

「だけどね、私が明日から「常盤芽依」になっても淳が大切なのは変わらないから。
お母さん死んじゃって悲しかった時も、淳に心配させちゃいけないと思ってがんばってたら自然と乗り越えられた。
お父さんがあんな人だから好き勝手に世界中を飛び交っていても淳は私のそばにいるだけで支えになってくれた。
普通はお父さんに言うのかもしれないけど…淳、本当に今までありがとう。
私のたった一人の大切な弟だってこと、忘れないで。
淳がいなかったら私はここまでこれなかった。
だから、淳も自分の幸せを見つけてね。」

姉さんは必死に涙をこらえながら言った。
普段は絶対に泣かない姉さんが涙をみせるなんて意外だった。
それだけにこの言葉の真剣さが伝わってきた。
12月の寒い空気をやんわりとあたためるかのような言葉。
言われてる方は少し恥ずかしいけど。

「姉さん、こんな往来でいう言葉じゃないよ。」

半ぼくも涙がこみあげてきて、言葉がうまく言えなかった。
姉さんのたいする愛情が手にとるようにわかる。
そしてぼくがどれだけ姉さんを愛しているかってことをハッキリと感じた。

それだけに胸が痛かった。
姉さんの知らない所でぼくは姉さんの婚約者に恋をして

勝手に思い上がって

みだらな夢を見て

一人で苦しんで。

なんてぼくは汚らわしい人間なんだろうと思った。
こんなに愛されているのにそれにはむかうようなことをして。

…「自分の幸せ」ってなんなんだろう。

隆平さんを手に入れること?
でもそんなことできるわけがない。そもそも振り向かせるのが無理だ。それに姉さんの幸せを奪うなんて僕にはできない。

そうだったら隆平さんを忘れること?



ジブンノシアワセヲ…ミツケテ…



気が付くといつも囚われている思考の渦の中にいた。
最近は考えすぎて頭がぐちゃぐちゃになっている。
選択肢はとうに決まっている。

隆平さんに恋をしつづけるか?
隆平さんを忘れるか?

答えももう決まっているはずなんだ。
自分で自分に言い聞かせる。

(隆平さんへの恋をあきらめるんだ。)

それでも忘れる決心がつかないのはなぜ?
忘れようとしても考えてしまうのは隆平さんのことばかり。

姉を大切に思う気持ちと、隆平さんへの恋心がぼくのこころには住み着いていて。
それでもまだ自分の幸せを見つけようと必死で。

でも幸せを見つけようと必死に考えて考えて迷っている時はまだ、ぼくは幸せだったと思うんだ。
ぼくはまだ幸せだった。


その日姉さんと二人きりで食べた最後の晩餐はすっごくおいしくて、涙が出そうだった。



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