「ヒロくん、起きてる?」
帰寮日の夜、部屋の電気を消してから1時間ほど経った頃、裕之は隣のベッドの方から声を聴いた。
それはいつもの強気さなどみじんも感じられない、頼りなげな望の声。
「ああ、起きてる。眠れないのか?」
「うん。そっち行っていい?」
か細い、そして愛しい望のこの要望に、裕之はいつもジレンマに陥る。
望と一緒のベッドに入るということ自体は大変幸せなことである。
しかし裕之にとってそれは理性との戦いの幕開けと同義語であり、多大な労力を要する。
それに、望が気弱そうに裕之の隣を求める時は、たいていが望の中の何かが不安で満たされている時で。
そのうちのほぼ9割方が「コイバナ」なのだから。
身体を近くに摺り寄せて好きな人の甘い体温を感じながら、裕之は理性と嫉妬と向きあう。
それでもいつも、望のお願いに逆らったことなどなかったのだけれど。
裕之の回答を待たずして、ベッドから出る布団の衣擦れの音がした。
この優しい同室者に拒否されることを望は知らなかった。
ペタペタという足音がしたのは数歩で、望は裕之のベッドに潜り込む。
裕之は平静を装う準備を・・・した。
「どうした?」
「ん・・・。ちょっとね。眠れなくて。」
「何か心配事でもあったのか?」
「まぁね。・・・ヒロくんもう眠い?」
「いや、いいよ。望が話したいなら聞いてやる。好きな・・・ヒトでもできたのか?」
そうであって欲しくないと、切に願いながら。
しかし望は間違いなく恋をしているであろうという確信を抱きながら裕之は自ら話を切り開く。
それくらいの覚悟はもうできあがっているはずだった。
恋をすると望は弱気になる。それを裕之は知っている。
美貌を持ちながら、人に愛されるということに望はいつだって臆病だ。
それを普段望は表に出さない。
周りの人間にも、恋人にも、ワガママで強気な態度を示す。
しかし裕之の前ではその強気な態度を崩すのだった。
それが裕之にはたまらなくうれしい。
例えそれが他の人間への思慕だったとしても。
どうしてか望は裕之にだけは弱音を吐く。
だから、望の恋の相談を受けることを裕之は止められないでいた。
「うん。ちょっとね。気になるヒトはいる。」
「誰?俺の知ってる人?」
裕之の中には真中健一のブルーアイがチラついた。
「たぶん知ってる、と、思う。」
「念のために聞くけど、それは男?女?」
「そんなことイチイチ聞くな。僕の世界は狭いんだから。」
「いや、帰省した時になんかあったりとかさ。そういうのも考慮に入れて。」
「だったらヒロくんが知ってるわけないだろ?」
「そりゃそうか。」
あの大掃除の日、とろけそうな表情をした望の顔がよぎる。
「真中健一だろ?」
これ以上もどかしい思いをしたくなくて、裕之は正解を口にした。
瞬間、望の頬が赤く染まる。
殺人的に可愛い。
「何でわかるのさー?僕何にも言ってないよね?」
「言葉では言ってないけどな。目が言ってた。あの怪我の手当て受けた日にさ。シップ貼られながら『真中先輩好きです〜』ってな。」
「ゲッ。そんなバレバレだったのかぁ。」
「あれでスキになったんだろ?」
「うん、まぁきっかけは。もとからかっこいいなーって思ってたんだけど。
あの時スゴク優しかったじゃん?それでドキドキして。
冬休み中ずーっと考えてたんだ。そしたらやっぱスキかもなーって。」
冬休み、自分と何度も電話した時も真中のことを考えていたのか?なんて、変な嫉妬心を抱きながら裕之は望の独白を聞いていた。
「でもあの人モテそうだし。先輩が男も大丈夫かわかんないし。そもそも僕のことなんか忘れているかもしれないし。どうしたらいいかわからないんだ。」
恋を成就させる前の望はいつもこうだ。
恋が実るかいつも不安がる。
それは片思いをしている人の共通事項なのかもしれないけれど、望の場合たいていの場合がうまくいくのだから今更不安がらなくてもいいのに、と裕之は思う。
「どうしたらあの人に近づけるかな?」
「会ったら挨拶してみれば?」
「うーん。でもさ、あの人いつも生徒会の連中とつるんでるじゃん?だから近寄りづらくって。」
そうか?あっちは望から話し掛けられればうれしがると思う、と裕之は内心思った。
なぜなら望は美少年で有名で、この光聖学院のアイドル的存在だからだ。
「別にこの前手当てしてくれたお礼言うくらいいいだろ?」
「そっかなぁ?じゃあ、一緒にいてくれる?恐いから」
望は裕之の目をじっと見つめてそう言った。
裕之には、望は天使にも悪魔にも見えた。
ヤバイ、可愛すぎる。
意外と望は小心者なのだ。
いつもはそれを隠すために強気に振る舞っているのだろうと思う。
「どうして男のヒトなんか好きになるんだろう?」
「しょうがないだろう?好きなんだから。」
しょうがないだろう。好きになってしまったんだから。
望は真中に。
裕之は望に。
忘れようとして忘れられるなら、今更裕之だって苦労はしていない。
「でもさ、やっぱ男同士って不毛だし。なんか結局いつもうまくいかないし。」
その点については裕之も同感だった。
男同士の恋なんて不毛すぎる。なんせ自分の恋なんか成就さえもしたためしがない。
それでもしぶとく好きでいる自分に裕之はあきれていた。
「じゃあ諦めればいいだろ?」
「何?ヒロくんのくせにその言い方は。僕本気で悩んでいるんだよー。胸が苦しいの!ヒロくんにはこの気持ちわからないだろうけど!」
俺に恋の苦しさはわからないって?
裕之はさすがにちょっと頭にきた。
この数ヶ月間、どれほどの苦しさを味わってきたと思っていんだ?
一番近い所にいながら、決して手に入れることのできない「望の恋人」というポジションを、どれだけ羨んだことか。
裕之は怒りを悟られまいと、望から背を向けた。
いつもはめったに望に怒りを覚えることはないが、それでも怒りの琴線というものは存在する。
「ヤダ。ヒロくん怒っちゃった?」
「・・・。」
「イヤだよぅ。ヒロくん。怒んないで?」
不思議と怒りが和らぐ甘い声。
これだから男という生き物は単純だ。
望は裕之の後ろから腰に手をまわした。
その手にぎゅっと力をこめる。
「ごめん。」
そう沈黙を破ったのは裕之だった。
「何でヒロくんが謝るのさ?」
「大人気ない怒り方をしたかなと思って。」
「じゃあこのまま抱きついていていい?」
「え?」
冗談じゃない、と裕之は思った。
こんなに密着していたらヤバいだろ?
しかしそうは言えない。
ヤバイだろ?なんて言ったら、きょとんとした顔で「何が?」なんて聞き返されるのがオチだ。
「勝手にして。」
ドキドキするのを隠そうとしたらなぜか冷たく言い放ってしまった。
そう思ったのは時すでに遅し。
「ヒロくんやっぱ怒ってる〜。」
そう言って望は腰に回す手に力をこめた。
「ごめんね。でもやっぱりヒロくんと居ると安心する。あったかいし。」
そう思ってくれるのはあり難いことだ。けれど・・・。
「先輩にアタックする勇気が湧いてきたような気がする!」
そんなもん湧かなくてよろしい!と思いながら、今夜は眠れないかも・・・と裕之は腹をくくった。
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