09

あなたに あえるだけで

それだけで こんなにも こころが うばわれていく







会社の屋上からは朝の都会の景色が一望できた。
時間が早いだけに誰の姿も見えなかった。
7月に入ってようやく長い梅雨から抜け、空には雲ひとつない。
まぶしい朝日が俺たちを照らす。

屋上についた俺たちはしばらく無言で景色を眺めていた。
朝が生まれ、見下ろす景色の中でたくさんの人たちが一日を始めようとしている。
どこか新鮮な光景であるはずなのに、心は重くなっていくばかりだった。

啓太に何を言われるのだろう。

今更。話さないほうがいい。

そう分かっていながらも、どんな理由であれ啓太と一緒に居ることを本能的に選んでしまった。
まるで他人のように、一定の距離を保ちつつもそばにいるだけでこんなにドキドキする。
これは久しぶりに会うという緊張から来ているのか、それともその喜びからきているのだろうか。
その答えは自分でもよく分かっていた。

最近いろいろと考えてはいたけれど、寂しさを感じていないつもりだったのに。
こうして近くで啓太を見るとやっぱり無性に愛おしさがこみあげてくる。
あの大きくて広い胸に、すっぽりと包まれていたことを思い出すと胸がズキズキと痛む。
今まで何もかにも無感動になっていた心が再び息を吹き返したように一緒にいる喜びを感じ、同時に今では啓太のものではない自分に寂しさを覚えた。
無理矢理意識の外に追い出そうとしても、やっぱり啓太という存在が大きいものであったということを思い知らされる瞬間だった。

「ずいぶん早くに出社するんだな。」

沈黙を破ったのは啓太だった。

「ああ・・・。ちょっと早起きしたから。そういう西垣こそ早いんじゃないか。」

「俺が早起きなの、篠崎さんは充分知ってるだろ。」

「そうだった。」

啓太は昔ラグビーをやっていた頃毎朝ランニングをしていた習慣で、会社にはいってからも早起きだった。
一緒に夜を過ごした時も必ず俺より早く起きて、ご飯を作ったりしてくれた。

「何か、篠崎さんに西垣なんて呼ばれると変な感じだよ。」

「俺だって篠崎さんなんて呼ばれると変だと思うよ。」

本当は前みたいに要って呼んで欲しい。啓太って呼びたい。
しかしそうしたらこの想いが止まらないような気がして怖くなった。
「でも、そう呼び合わなくちゃいけないんだよ。俺たちはもう・・・」

―終わったんだから。

そう言葉に出そうとしてやめた。
言葉に出せば、つらくなってしまいそうだから。
続く言葉がなくて俺は口つぐんだ。

啓太も眉間にしわを寄せてこちらを見た。
俺が言わなくてもその続きにどんな言葉が続くのかちゃんとわかってる。

「西垣さ、もう新しいヒト見つけた?」

俺はあえて明るい口調で聞いた。

「・・・いないよ、そんなヤツ。」

「そっかぁ・・・。西垣カッコいいんだからさ、早く作れよ。別に男じゃなくてもいいんだろう?もともとゲイなわけじゃないんだから。」

早く、ちゃんと女の子と付き合って、幸せになってくれ。
そうじゃないと俺がしたことはすべて無駄になってしまうから。

心にもないセリフを言うことがどんなにつらいことか。
それは別れを切り出した時に感じた痛みの再現だった。

「篠崎さんが、俺に別れを切り出した時・・・俺、本当に信じられなかった。」

啓太が握りしめた拳に力を入れているのがわかった。

「もしかしたら俺にイヤなところでもあったのか、それともただマンネリを感じていたのか。いろいろと考えた。
篠崎さんがそんな風に不真面目に恋愛をするような人ではないと思ったから、わざとあんな俺を傷つけるセリフを言ったんじゃないかって。
他に好きな人ができたっていうのもウソじゃないかと思ったし。
そのうちいずれチャンスを待って、またよりが戻せるんじゃないかって考えるようになったんだ。
俺はやっぱり篠崎さんが好きで。・・・篠崎さんしかいないから。でも・・・」

啓太に変わらず愛されていることを知って俺の心は言いようもないくらいの感激にあふれた。
しかしそれは同時にそれでもウソをつき続けなくてはいけないことの暗示であり、同じくらいの悲しみをもたらした。

「でも・・・?」

言葉を続けようとしない啓太を促すように俺は尋ねた。

「昨日、会社に迎えに来た人は誰?」

そう言われた瞬間血の気がすうっとひいた。
見られていた。俺と天野先生が逢う所を。
啓太と別れなければいけない今のこの状況にとっては好都合の材料なのに、見られていたことにひどく動揺する。
いやな汗が出ているのがよく分かった。

「彼は・・・」

「随分楽しそうだったね。・・・あれが例の"好きな人"?」

頭が痛い。

好きな人に向かって違う人が好きだと言わなければならないなんて。
そんな残酷なことをどうして俺はしなくてはいけないんだろう。
本当にこめかみの辺りにキリキリとした痛みを感じながら俺は呼吸を整えた。

言わなくてはいけない。

言わないと・・・。

「そうだよ。あれが俺の新しい恋人。」

そう言ったとき、啓太の顔が苦痛に歪むのを俺は気付いた。
それはうぬぼれかもしれないけど、何年も一緒にいた相手の表情くらいわかるつもりだ。

「本当に好きな人、いたんだ。」

「そう言っただろう?」

「今幸せ?」

「あたりまえだ。好きな人と一緒に居られるんだから。セックスもうまいし。」

一度ウソをついてしまったら後は面白いくらいにセリフが出てきた。

「オマエと違ってただ激しいだけじゃないんだよ。あの人はオトナだから、ちゃんと俺を扱ってくれる。それに・・・」

「もういい!」

見るからに怒りの色をあらわにした啓太が俺の戯言を制した。

「怒られる筋合いはない。二股かけてたわけじゃないんだからな。」

「もう・・・それ以上言わないで・・・」

啓太は今までに見たこともないくらいの悲しい顔をして声を震わせた。
あれだけ平気でウソをついても、啓太が悲しそうな顔をすると心が揺らぐ。
全てウソだって、そう言って抱きしめてあげたくなった。
その衝動を抑えるようにして俺はその場を離れようとした。
もう啓太の顔は見れない。
足早にエレベーターホールへと向かう。
しかしその手を啓太に引きとめられてしまった。

「まだ何か用・・・」

そう言おうとした俺の言葉はそれから先続くことはなかった。
口を、塞がれた。
他の誰でもない啓太の唇で。







あなたに うそを つくだけで

それだけで こんなにも こころが いたい


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