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きえて いなくなってしまいたいと

かすかに ねがった







「じゃあ、病院行って来ますね。ご飯作ってありますからチンして食べて。それと、今日は当直だからまた明日の昼ごろ顔だしますから。」

「・・・・・・・・。」

反応がないことに軽いため息をつくと、天野先生は出かけていった。

扉が閉まり、部屋の中に静寂が広がった。




あれから

すべてが無気力になってしまったあの日から一週間ほどたった。
会社はちょうどもうすぐ夏休みと取る予定だったので何日か欠勤した後、そのまま休んでいた。

本当は、何度も会社へ行こうとした。
けれど身体がだるくて行けなかった。

あれ以来ずっと家にいる。
それどころか日常の動きさえもがおっくうで、排泄と、入浴と、食事と。それから先生とのセックスのためだけに俺のエネルギーは消費されていた。

まるで筋肉が弛緩してしまったかのように動かない。

否。

身体を動かそうという気持ちを忘れてしまったのだ。

実際今は自分の部屋のフローリングに座り、壁にもたれかかっていた。
おそらく昨日の晩からずっと。

天野先生はそんな俺の様子を暇な時間があれば見に来てくれている。
なんせ俺は自分から食事をしようとか、そういう気が起こらないのだから。
自分でも笑いたくなるほど病的な状態だ。
先生が食事を作り、食べろと言えば食べる。風呂に入ろうと言われれば入る。
うつろな表情で先生がしてくれることにされるがままになっていた。
だから先生のおかげで健康状態は維持できている。

ただ、ほとんど眠れないことの方が多くなった。
自分の存在について、いろいろ考えるほど自分が何者かわからなくなって考えることで頭がパンクしてしまう。
まぶたを閉じれずに朝を迎えてしまうことがたびたびあった。
身体がついていけなくてようやく眠りに身を投じてもすぐに目が覚める。 眠りを逃して苦痛な表情を浮かべる俺に、天野先生はやさしく頭をなでてくれた。


また、無気力の合間に現れる狂気の瞬間を俺は恐れるようになった。
俗に言う情緒不安定状態だ。
たまにすごく残酷な気持ちになって相手を傷つける言葉が止まらない。
そのターゲットは先生しかいなくて。
おとなしく世話をされていたと思ったら急に怒り出して罵倒することもあった。
その後は決まって訪れる後悔と脱力感。

身体はだるくて視界はもやに包まれたかのようにはっきりしないけれど、先生の少し傷ついた目だけははっきりと認識できた。
俺はこの人が自分を好きなことを良いことに、随分と利用している。
そんな時は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
しかしそれは時にはあまりにも優しすぎる先生への苛立ちに変わる事もあって。
自分の中でうまく折り合いがつかず苦しんでいた。



これだけ身体が動くことを拒否しているのだから

いっそのことも考えることすらも拒否したかった。










「・・・てる?」

「え?・・・・っあ。ゴメンなんだっけ。」

「もー、啓太さんたらちゃんと朱音の話を聞いて。」

「ごめんね。ちょっと考え事。」

「せっかくの夜景が台無し。」

朱音はちょっとすねた顔をしてぷいっと違う方向を向いた。
今年で21になる女子大生の朱音は、すっかり自分をかわいく見せる方法を知っていた。
今までつきあってきた対外の男性はこういう風に自分が拗ねるとかわいいと思ってくれることを知っている。
現に朱音は可愛らしい女だ。
ぱっちりとした目に長いまつげ。唇はぽってりしていて魅力的だ。
そして肌は透き通るように白くキレイ。
さらに身長は150cmぐらいで、これがなおさら男の保護欲をかきたてる。
下の方から上目使いで語りかけられたらたまったものではない。というのが男の心境である。

現に今夜朱音に誘われるまま横浜デートをしている啓太もあまりの可愛さにドキドキしていた。
それは男としてはあたりまえのことで、すっかりたじたじだった。

何年か付き合った恋人と別れ、感傷にひたっていた矢先。
社長の姪である朱音を紹介された。
最初啓太はまだ他の人を心に入れる余裕などはなかったが、朱音の押しの強さと上からのプレッシャーに負けて付き合うことになった。
あまりにも要に近い位置にいる女だということは承知していたが断われなかった。
この4つ年下の朱音は21にもなって自分のことを「朱音」と呼ぶ幼さはあったが、自分の気持ちを包み隠さずぶつけてくる女だ。
そんな朱音に少々辟易しながらも、その明るさと美貌を好ましくは思っていた。

「朱音ちゃん、ホントごめんってば。」

「じゃあね、チューしてくれたら許してあげる。」

「今?ここで?」

「今、ここで。」

横浜のみなとみらいにあるこの公園はベイブリッジが見渡せ、辺りのライトは随分暗めだったが、それでもまだ人は近くにいる。
啓太は少し困った、という感じで苦笑いをした。

「じゃあ許してあげない。」

「わかったわかった。ホラ。」

啓太は恥ずかしさも混じってほんの数秒間触れるようなキスをした。
キスをしたらいつもと違う甘さを唇に感じた。

「そんなんじゃ。ムードがないよぉ。」

「そうかな?俺恥ずかしがりだから人目があるとちょっとダメなんだよ。この辺で勘弁して。」

「しょうがないなぁ。じゃ、人目がないところだったらいいの?」

朱音の顔は少し女の容貌に変わった。
濡れた瞳でさらにたたみかける。

「そこのホテルね、朱音一回泊まってみたかったんだぁ。」

朱音が指さした先には月の形をしたホテルがあった。








きえて いなくなる きりょくすら

うまれてこなかった


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